佛心
年末掃除に追われている最中、本山の寺務所に大きな荷物が届きました。金沢泰子様からのものでした。
中身は、金澤翔子さんの書「佛心」でした。
金澤翔子さんのお父様のお墓は円覚寺にございます。
三年ほど前、お父様の十七回忌を記念して、お墓から見える円覚寺の仏殿で、「佛心」の二字を揮毫していただきました。
その書は、今も仏殿に飾らせていただいています。
その時に、翔子さんの母上でいらっしゃる泰子様から、改めて「佛心」の書を送らせてもらいたいと言われていました。
こちらとしましては、いただいた「佛心」だけで十分だと思っていたのですが、改めてもっと大きな「佛心」を頂戴しました。
この作品は、翔子さんの作品集にも掲載されていて、解説を私が書かせていただきました。
短い言葉ですが、
「佛心」とは、慈悲心。親が子をおもいやるこころ。
亡きお父さまに見守られ、母泰子さまのあたたかい思いやりを一杯に受けて育った翔子さん。「佛心」は翔子さん自身でしょう。
と書かせてもらったのでした。
実に迫力のある書で、まのあたりにすれば、大きな力を頂くことができます。
翔子さんは、近頃一人暮らしをはじめられたとうかがっています。
そしてその書は、建長寺や建仁寺などの大本山に納められています。
なかなか本山で飾ってもらう書など、誰でも書けるものではありません。
かつて武蔵野大学に講演に行った折に、入り口のところに高楠順次郎先生の言葉が掲げられていました。
「人間の尊さは可能性の広大無辺なることである。
その尊さを発揮した完全位が佛である」
という言葉でした。
いい言葉だなと思って書き写してきたのです。
我々は本来皆仏であると、禅では説いているのですが、
言葉を換えれば、我々は皆無限の可能性を持っているということでありましょう。
私たちは、その持って生まれた可能性のどれほどを発揮しているのでしょうか。
翔子さんの書を拝見していると、可能性を最大限に発揮しているように思われます。
翔子さんの書を前にすると、大きな力をいただくと共に、もっと可能性を発揮しなければと奮起させられます。
いただいた書は、大方丈に飾らせていただくことにします。
是非お参りの折には、ご高覧ください。
横田南嶺