相田みつを美術館へ
毎年、年末には相田みつを美術館におうかがいしています。
私はいつも、法話や講演などで、相田みつを先生の言葉を引用させていただいていますので、そのお礼をかねて必ずうかがうようにしています。
今年は、ようやく昨日二十五日に訪ねることができました。
毎年、うかがうと新たな学びがあるものです。
今回も、多くの気づきをいただきました。
入ってすぐのところには、
迷いの着物を
脱いでもね
悟りの着物を
着たんでは
という短い言葉がありました。
修行する者が陥りやすいところです。
迷いの着物も、悟りの着物もともに脱ぎ捨ててしまうのが坐禅のはずなのです。
それが、つい何年坐禅したのだとか、或いは見性(さとりを開くこと)したのだとか、どこか鼻についてしまいます。
相田みつを先生の言葉は、わかりやすいのですが、その根底には深い禅の修行が裏打ちされてあるのです。
『臨済録』のなかでも、臨済禅師は、修行僧たちによびかけて、「衣に目をくれてはいけない」と説かれています。
どんな衣かというと、菩提という衣や、涅槃という衣や、祖師という衣や、或いは仏という衣などだと言われています。
菩提というのも涅槃ともいうのも、いわゆる「悟り」を表します。
臨済禅師は、こうした悟りだの涅槃だのという名前などは、対象に応じて着せかけた衣だと喝破されました。
衣について詳しくなるばかりではだめであって、衣を着ている人が問題なのだと説かれています。
相田みつを先生の次のような言葉も思わず書き取ってきました。
筆を持つたびにわたしは人間としての
自分の至らなさを悟ります
さとりだ、涅槃だなどというよりも、こういう率直な一言に心打たれます。
この道は、どこまでも自分の至らなさに気づき、たえず精進していくしかないと思うのです。
相田みつを美術館は、東京国際フォーラムの地下一階という多くの人が行き来する中にあります。
そんな中で、長い間美術館を維持している努力には頭が下がります。
スタッフの皆さんの実に親切で、訪れた人は皆満たされた思いになります。
幸い相田一人館長も居られて、しばし歓談をさせていただくことができました。
相田館長は、今年テレビの「世界一受けたい授業」に二度もご出演なさって、その影響もあってか多くの方が美術館を訪れたようでした。
まだ行ったことがないという方には、是非ともお勧めしたい美術館であります。
心あたたまり、やすらぎ、そして深い気づきが得られる美術館です。
横田南嶺