ナマケモノ
先日、とある方からお手紙をいただいて、その中に
「『いろはにほへと』を読んで、その中の「ナマケモノ」の話が、これは本質だなと、今年一番考えさせられました」
と、書かれていました。
そのお手紙を読んで、「ナマケモノ」を思い出しました。
少し『いろはにほへと』から引用します。
「ナマケモノという動物がいます。人間が勝手に「怠け者」という名前をつけましたが、ナマケモノにしてみれば怠けているつもりはさらさらないと思います。……仏法の世界を学んでいく場合に大切なことは、一つの価値観に執着せずに、いろんなものの見方、いろいろな価値観、尺度を持っていることであります。
生存競争、弱肉強食、自然淘汰などのそういう価値観からではこのナマケモノという生き物は推し量ることができません。
ナマケモノは実に不思議な生き物で、何をしているかというと別段何をしているわけでもありません。一日に二十時間以上寝ていて、起きて何をするのかというと同じ木の葉っぱをほんの2~3枚食べるだけで、あとは木にぶら下がってじっとしている。」
とありますように、実に不思議な生き物なのであります。
更に『いろはにほへと』では、
「それでは、生存競争の激しいジャングルであのナマケモノがどうして生きているのでしょうか?当然何もしないでぼやっとしていれば獲って食われるのが森の世界であります。食べてもまずい、ろくに動かないから肉がついていないなど諸説ありますが、一つの真理として「争わないものは攻められない。」「戦わないものは攻められることはない。」戦わない!争わない!という生き方をあのナマケモノが選んだのでしょう。」
これは、どこまで本当なのか、私自身実際にナマケモノに聞いて確認したわけではないのですが、そのように思ったのです。
「我々人間というものはいろんな文明・文化を生み出し、なんだか偉そうにして、そういう価値観で「あんなナマケモノは全くの役立たずだ。」と見ていますが、時には長い長い大きな目で見れば、我々人間のものの見方がいかに狭いもの、小さいものかわかるはずです。地球上にはかつて恐竜やマンモスなど様々な生き物があらわれては滅んでいきました。無常の法則ですから、いつかは人間の時代も終わることがありましょう。遠い将来、地球の歴史を振り返ったとき「あの人間という生き物は何をしたのか?」という議論になったとき、私ならば「たえず殺し合いを繰り返し、そしてこの地球をこれだけ汚したのが人間であります。」言わざるを得ません。今のままではそうなりかねません。」
とありまして、これは厳しい見方だと思われるかもしれませんが、そういう一面もあるのです。
人間ほど、お互いに殺し合いをしている動物は、ほかにあるのでしょうか?悲しいかな、人類の歴史は戦争の歴史でもあります。
そして、人間ほど地球環境を破壊した生き物はいないでしょう。これは事実だと思います。
そして『いろはにほへと』では、
「そこへいくとナマケモノはどうですか?別段人間から見れば怠け者かもしれませんが、大地を何一つ汚すことなくその中で暮らしています。そういう目から見たら、ひょっとして、ナマケモノの方が立派な生き方をしているのかもしれません。」
という文章で終わっています。
今改めて読んでみても、考えさせられます。
折しも、報道では、政府は、東京電力福島第一原発でタンクにためられている汚染処理水について、「海洋放出」するか、「蒸発させ大気放出」か「海洋、大気放出の併用」の三案に絞ることを有識者小委員会に提案したといいます。
結局は、海か大気かを汚さざるを得ないのでしょうか?
「ナマケモノ」の話は、大いに考えさせられるのですが、普段でも「回遊魚」と呼ばれているこの私は、この年末年始、ただでさえも師走、とても「ナマケモノ」ではいられないのであります。
せめて少しでも環境を壊すことのないように勤めたいと思っています。
横田南嶺