坂村真民 詩
臭肉、蠅を来す
『仏光録』の中に、仏光国師に対して問答を挑んできた修行僧に対して、「臭肉、蠅を来す」という手厳しい一言を述べられているところがあります。
円覚寺が開かれてまだ間もない頃の問答ですが、しかけた修行僧は相当に修行もして、語録なども読み込んで、かなりの自信をもって問答に挑んだ様子がうかがえます。
その問答の最後に、仏光国師が「臭肉、蠅を来す」との一言を置かれました。
肉もご馳走でありましょうが、腐ってしまって蠅がたかるようでは、どうしようもありません。
仏法を学ぶ事は尊いこですし、悟りを開くことも立派ですが、その臭みが抜けないようでは困りものです。
一生懸命に修行した僧なのでしょうが、どこかに、自分はこんなに修行してきたのだ、悟りもできているのだという思いが抜けきっていなかったのでしょう。
「仏見法見」とか、「法執」といって、仏法や真理に対するとらわれがまだ残っているのです。
味噌の味噌臭きは上味噌にあらずとか、味噌の味噌臭きは食われずという言葉があります。
坂村真民先生の「ただそれだけ」の詩を思います。
ただそれだけ
宗教臭い人間になったら
もうおしまいだ
仏教臭い人間になったら
もうおしまいだ
詩人臭い人間になったら
もうおしまいだ
人を救うんだ
人を助けるんだ
そういうことを
口にする人間になったら
もうおしまいだ
花咲き
花散る
ただそれだけ
それでいいのだ
ただ黙っていても
心が結ばれてゆく
そういう人間にならねばならぬ
横田南嶺