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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.15
今日の言葉

待つこと

毎月東慶寺さまを会場にして、「鎌倉の禅を学ぶ会(通称、鎌禅会れんぜんかい)」で仏光国師の語録『仏光録』を講義しています。

その『仏光録』の中で、仏光国師が、当時円覚寺でお説法なされていて、一夏いちげという三月みつきの禁足修行の期間が終わる頃に、

「私は、一夏の間、あなた達が気がつくところがあって、その心境を私が証明してあげることをずっと、待っていた。

四月しがつより待って、五月ごがつになり、五月より待って六月ろくがつになり、六月より待って今に到った。その間、昼間も部屋の戸を閉ざさず、夜も戸を閉めずに待っていた」と仰せになっています。

教育や指導と言いますと、どうしてもあれこれと説明し、更に手を加えて、いろいろ手段を講じることを思いますが、究極は「待つこと」になると思います。

じっと、ただ待つのです。気がついてくれるまで待つのです。

気がつくように仕向けることなどは、かえって不親切になってしまいます。

じっと待つのです。

そして、きっと気がついてくれると信じて待つのです。

仏光国師も、ずっと「風前月下」待ち続けていたと書かれています。

「あなた方が私の部屋まで来られなくても、せめて縁側軒端まででも来てくれたら、身内の者だと認めよう」と仰せになっているのです。

じっと待つ、待ち続けるところに、仏光国師の深い慈愛を思います。

「信じて待つ」これこそ、究極の教育だと思うこの頃であります。

横田南嶺

 

 

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〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

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