成道会
本日は成道会です。お釈迦さまが難行苦行六年の末に、悟りを開かれた日であります。
王子の位を捨てて出家し、難行苦行をされたお釈迦さまでしたが、体を痛めつけるだけでは、悟りは得られないと思い直して、スジャータという女性の供養された乳糜の供養を受けて体力を回復されて、ヒッパラ樹の下で坐禅をされました。
深い精神の統一に入って、十二月の八日、暁の明星を見て悟られたと伝えられています。
この悟りこそが、仏教の原点です。
しかしながら、悟りを開いてもそのままであれば、今日仏教は伝わっていません。
インドには当時も大勢の苦行者や宗教家がいましたから、悟りを開いてそのまま教えを説かずに亡くなっていたならば、仏教もありませんでした。
実際に、お釈迦さまも、自分が悟り得た真理は、世間の欲ばかりを追いかけている人には説いても通じないだろうと、そのまま涅槃に入ろうとされました。
そこでインドの神さまである梵天が現れて、お釈迦さまにお説法をお願いしました。
梵天の勧請を受けて、お釈迦さまは、この世界をご覧になると、汚れの多い者もいるが、少ない者もいると気づきました。
それはあたかも
「蓮の花が、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水の中にとどまっているもあり、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水面にいでて花咲けるもあり、またあるいは、水より抜きんでて花咲き、水のために汚れぬものもあるに似ている」と思われて、
慈悲のこころを起こして立ち上がられたのでした。
これこそが仏教の一番の始まりであります。
初めから、慈悲のこころで人々の真理を説いてゆこう、広く伝えてゆこうというのが仏教の原点なのです。
お釈迦さまの悟られた真理は、あらゆる命あるものは、皆仏心を具えているということでした。
その仏心とは慈悲のこころにほかなりません。
仏教は、慈悲のこころから始まり、慈悲のこころを説き、慈悲のこころを実践する教えなのであります。
横田南嶺