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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.03
僧堂提唱

愚にかえる

五祖法演禅師の語録の中に、興味深いことが説かれています。

仏になろうと修行している時は、愚から賢になろう努力する、

仏になったあとは、賢から愚になるのだという意味のことです。

たしかに修行しようという時には、愚かさを少しでも減らしゆこうと、

様々なことを習得して、学びを積み重ねて努力します。

しかし、それだけでは十分ではなくて、こんどは、学んだことを減らしていって、愚になるのだというのであります。

「小憨(しょうかん)、大憨(だいかん)に如(し)かず」という言葉で表しています。

小賢しいよりも、馬鹿者がいいとでも言いましょうか。

ことわざにも、「賢は愚にかえる」というのがあります。

すぐれた人は、才能をひけらかしたりしないので、平生は愚かな人のように見えるという意味です。

「大智は愚のごとし」という場合もあるようです。

いずれにしても、禅の修行もまた、

禅の修行に入るまでに、積み重ねてきた学問知識などと、捨て去っていって、愚かものになる修行といえます。

「無字」の修行なども、愚かになる修行です。ひたすら、毎日「ムー、ムー」と無になる努力をします。

こんなことをして何になるのだろうかと思うかもしれませんが、

余計な考えを入れずに、むしろ考えをすべて振り捨てて、大馬鹿になるつもりで取り組んでゆくのです。

一茶が還暦の頃に作ったという句に

「春立つや 愚の上に又 愚に返る」というのがあります。

一茶の心境はうかがいしれませんが、愚にかえるとはよく言われています。

あの法然上人の言葉に

「聖道門の修行は、智恵を極めて生死を離れ、

浄土門の修行は、愚痴に還りて極楽に生まると知るべし」

とあります。

これもまたあじわいの深いものです。さすが法然上人です。

同じ法然上人の有名な『一枚起請文』にも、

「たとい一代の法をよくよく学すとも、

一文不知の愚鈍の身になして」念仏すべしとあります。

我々の修行もまた、馬鹿になる、愚に返る修行であります。

(臘八大摂心提唱より)

愚にかえる

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