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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.01
僧堂提唱

祈るこころ

白隠禅師ほどのお方でも、一時禅の道に対する疑問を抱いて、

漢詩文の勉強に熱を入れていた時がありました。

それでも、せっかく出家しながらこれでいいのかという思いも消えず、

悶々として過ごしていました。

そんな頃、美濃の瑞雲寺の馬翁和尚のもとで修行していて、蔵書の虫干しを行っていました。

本堂一杯に、おびただしい経典や語録などを広げていました。

そこで白隠禅師は、神仏に祈りをささげて、どうかこれから自分の進むべき道を示す一冊をお教えくださいと、

瞑目して一書を手にとりました。

その本が『禅関策進』でありました。

恭しくおし頂いて本を開いてみると、

慈明禅師が修行時代に、夜眠くなると自分の股に錐を刺して目を覚まして坐禅されたという逸話が書かれていました。

それを読んで白隠禅師は感動しました。

古人がこれほどの精進をされたのであるから、

この道に間違いは無いと新たに確信して精進を重ねるようになられました。

私も修行時代には、この話を幾たびも聞いてきて、そして今では幾たびも修行僧達に話してきました。

長らく腑に落ちなかったのは、

禅の修行をしようとするものが、神仏に祈りを捧げて目を閉じて一冊の本を手に取って、

自分の道を決めようという心でした。

どうも、運に任せるようなところが、理解し難いところでした。

しかし、この頃、神仏に祈る時点で、心は定まっているのだと思うようになりました。

どうかお示しくださいと祈る時点で、自分の心の方向は決まっているのです。

祈るということは、自分の進むべき道を自分で新たに確かめることだと思います。

祈ることによって、自らの進むべき道が明らかになり、

更に祈ることによって、その道に進む自信と力を得てゆくのだと気がつきました。

だから、神仏に祈りを捧げることは、修行の上においてもよいことであり、大きな力になるのです。

(臘八大摂心提唱より)

横田南嶺

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