『からだに触れる からだで触れる~「生命共感」へのてがかり・足がかりとして~』
鍼灸師の朽名宗観先生から、新著『からだに触れる からだで触れる~「生命共感」へのてがかり・足がかりとして~』を頂戴しました。
はじめは、鍼灸の本かと思っていましたが、一読して深い感銘を受けました。
もちろんのこと、鍼灸師としての経験から著述された本ですが、朽名先生は野火止の平林寺僧堂にも通って参禅された方ですので、仏教や禅にも深い造詣がございます。
一冊の中に貫き透されているのは、朽名先生の深い慈悲のこころであります。
私などには及びもつかぬ、慈悲の深さだと痛感しました。
朽名先生は往診治療にも力を注いでおられ、とある八十代後半の、「かなり進行した認知症とうつ傾向がある」という方への治療の話などは、胸打つものがあります。
何年もその方のところに往診治療を続け、ようやく関係つくりができてきたと思っていたところ、「この方から完全な施術の拒否」をされてしまったというのです。
普通であれば、そこまで拒否されると、もうそれまでとなるでしょう。
しかし、朽名先生は、通い続け、その方の寝室のベッドの傍らに正座し続けられたというのです。
朽名先生によれば、「ほとんどの時間を自室のベッドか椅子で過ごしていれば、部屋はその人のからだの延長のようになります。
部屋に入ることそのものが直接的には触れていないけれども、からだに触れるような意味合いをもっています」というのです。
そこでまったく言葉が交わされることもなく、ただ正座を続けて、「実際にはからだに触れてはいないけれども、「気」の交感の上では患者に触れており、このときはその距離感が適切だった」と書かれています。
やがて、水分補給のために吸い飲み器を口に運んでみると、拒むことなく飲み干されたといいます。
そしてもう一度関係を築き直して、ふたたび体にも触れて施術ができるようになっていったというのです。
とてもまねのできるものではありません。
岡田式静坐法の岡田虎二郎氏は、患者のそばに静坐するだけで患者を治したという話がありますが、そんな逸話を彷彿とさせます。
鍼灸の本かと思って読んでみたところ、深い宗教哲学が込められており、慈悲のこころを学ぶことができました。
一言も発せずに、そのそばに坐っているだけで、その人のこころに触れて、そのこころを癒やしてあげられるようになれたら、すばらしいなと思います。
横田南嶺