「一点に集中」
達磨大師の言葉と伝わるものに、
「外、諸縁を息(や)め、内心喘ぐこと無く、心、墻壁の如くにして、以て道に入るべし」という語があります。
坐禅の心得を示されたものです。
先ず第一は外の世界に対して、一切心をはたらかせないようにします。
眼で見えるもの、耳で聞こえるもの、鼻で嗅ぐもの、舌で味わうもの、体に触れて感じるものに、一切心を動かさない。
外から入ってくるもの一切を遮断してしまうのです。
すると、今度は、心の内からさまざまな思いが湧いてでてきます。
むしょうにものが欲しくなったり、腹が立ってきたり、あれこれと心が散乱したり、
または心が沈んで、やる気がなくなり、怠惰になったり、眠気が起こったりします。
その内心に湧いてくるもののすべて断ち切って坐ります。
その要領が、心を切り立った壁のようにしてしまうことです。
何物も寄せ付けぬぞという気迫をもって、一つの事に集中するのです。
そうして、仏道に入ってゆくと説かれます。
何物を寄せ付けぬようにするには、心を一点に集中するのがうまくゆきます。
それが呼吸を数えることであったり、無の一字に集中するのです。
体の上では、おへその下の丹田に一点に意識を集中させ、心では無の一字に集中させて、
それを一つにしてしまいます。
すると、体も消えて、ただ呼吸だけが残るような感覚になります。
更にその呼吸も、この広い空間に溶けていって一つになってゆくのです。
これを古人は「空蕩蕩地(くうとうとうち)」といいました。
空っぽでどこまでも広がった世界です。これが道に入ってゆく第一歩であります。
そのように一点に集中してゆく修行ですが、臘八のように睡眠が足りていないと、
特に途中眠気に襲われます。
集中していく過程と眠りに入る過程とは、あるところまでは同じ道を辿ります。
そこで気をつけていないと、眠りに落ちてしまうのです。
眠りに落ちないように、集中してゆく為には、やはり目をはっきり開くこと。
何かを見ようとしなくても、はっきり見えているという状態を保つことです。
それから口元を引き締めて、舌をしっかり上あごに付けること、
要は口がたるまないことです。
そして法界定印を結んだ手をしっかり組んでおくことです。
この三つをしっかり意識できていれば眠気は退散してゆきます。
どうしても眠いならば、意識を思い切って眉間に引き上げることです。
丹田に下げるのではなく、一時的に引き上げて覚醒させてみる。
そうして目覚めた状態で一点に集中してゆくのであります。
(平成30年12月4日 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)