「苦行の果てに」
臘八の修行は、お釈迦様の難行苦行にならう修行でもありますので、いつもお釈迦様の苦行の話もいたします。
お釈迦様は、王子という位にあって、きわめて裕福に暮らされました。
しかし、それでは、満足が出来ずに、出家して苦行の道を選ばれたのでした。
苦行では、息を止める修行や断食をなされました。
一日に一食、二日に一食、七日に一食、さらには半月も断食されたりしました。
わずかの豆や小豆の類いを取るだけで、みるみるお痩せになりました。
手脚は、枯れた葦のようであり、尻はラクダの背のように、背骨は編んだ縄のようにあらわれ、
肋骨は腐った古屋の垂木のように突き出て、頭の皮は熟しきらない瓢箪が陽(ひ)にさらされたようにしわんで来ました。
それでもただ、瞳だけは落ちくぼんで深い井戸に宿った星のように輝いていたといいます。
そんなお姿を写したのが、パキスタンのラホール美術館にある釈迦苦行像であります。
その頃のお釈迦様のご様子を、経典ではこのように表現しています。
腹の皮をさすれば背骨をつかみ、背骨をさすれば腹の皮がつかめた。
立とうとすればよろめいて倒れ、根の腐った毛はハラハラと抜けおちた。
過ぎし世の如何なる出家も行者も、来るべき世の如何なる出家も行者も
これより上の烈しい苦を受けたものはないであろうと思われたほどありました。
日に焼かれ、寒さに凍え、恐ろしき森に只一人、衣もなく、火もなく、理想のひかりに聖者は坐られたのです。
ときには、屍や骨の散り積まれた墓場に夜の宿を取られました。
牧羊者の子供達がお釈迦様を見つけて、唾をはきかけ、泥を投げつけ、また木の枝を取って耳にさしこみました。
しかし、お釈迦様のお心は彼等にたいして少しも怒りを発することはありませんでした。
経典は、更にこう記しています。
「血は枯れ、あぶら失せ肉落ちて、心いよいよ静まる。正念と智慧と明らかに、禅定いよいよ固し。
われ、かつて、五欲の楽しみの極みを尽くし、今やその欲に望みなし。この清浄の人を見よ」と。
お釈迦様の教えは、こんな苦行の果てに体得されたものです。
八木重吉の詩に、「神の道」というのがあります。
『 自分が
この着物さえも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここにくる』
というのです。神をお釈迦様に置き換えてみますと、その通りだと思われます。
ときには、そんな純粋さばかりでは生きては行けぬと言われるかもしれません。
たしかに、純粋さだけでは生きてゆけぬでしょう。
しかし純粋さを失えば、また生き残れぬと思うのであります。
年の一度の臘八を迎えると、お釈迦様を純粋にお慕いする気持ちが湧いてくるのです。
(平成30年12月 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)