「人はいずこに行く」
昔のお坊さんの修行に、死後人はどうなってゆくのかを見つめる
というのがありました。死体がどう変化してゆくかを見るのです。
今もお寺に九相図というのが伝わっているところがあります。
これは死体が変化してゆく様子を画いたものです。九つに分けて画かれています。
最初に死体が腐敗して膨張する様子、それから、皮膚が破れ壊れる様子。三番目に血
液体液が滲み出す様子。四番目に腐敗し溶解してゆく様子、五番目に青黒くなってゆ
く様子、六番目に鳥獣に食い荒らされる様子、七番目に死体の部位が散乱する様子、
そして八番目に骨だけになって、九番目には焼かれて灰になる様子なのです。
おぞましい様子ですが、これが人間の現実なのです。こういう様子をよく観察して
無常観を養ったのです。
禅の問題にもこういうのがあります。
昔、お釈迦様の時代に、七人の智慧の深い姉妹がいて、墓地を訪れた。娘たちの一
人が、むき出しになった屍骸の一つを指さして姉妹たちに言いました、「屍(しかば
ね)はここにあるけれども、人はどこへいったのでしょう。」一人が「どうだ、どう
だ」と言うと、みんなは真理を明らかにして悟ったという話です。
こういう問題を真剣に考えて坐るのであります。骸骨の画などが描かれるのは、こ
ういう問題に向き合う為でもありましょう。
さて、その人はどこへ行ったのか?
黒住宗忠の和歌に
わが姿
尋ぬるにまた 及ぶまじ
ただ天地(あめつち)に
満ち渡るもの
(平成30年10月 横田南嶺老師 入制大攝心 『武渓集提唱』より)