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臨済宗大本山 円覚寺

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2018.10.24

「人はいずこに行く」

 昔のお坊さんの修行に、死後人はどうなってゆくのかを見つめる

というのがありました。死体がどう変化してゆくかを見るのです。

 今もお寺に九相図というのが伝わっているところがあります。

 これは死体が変化してゆく様子を画いたものです。九つに分けて画かれています。

最初に死体が腐敗して膨張する様子、それから、皮膚が破れ壊れる様子。三番目に血

液体液が滲み出す様子。四番目に腐敗し溶解してゆく様子、五番目に青黒くなってゆ

く様子、六番目に鳥獣に食い荒らされる様子、七番目に死体の部位が散乱する様子、

そして八番目に骨だけになって、九番目には焼かれて灰になる様子なのです。

 おぞましい様子ですが、これが人間の現実なのです。こういう様子をよく観察して

無常観を養ったのです。

 禅の問題にもこういうのがあります。

 昔、お釈迦様の時代に、七人の智慧の深い姉妹がいて、墓地を訪れた。娘たちの一

人が、むき出しになった屍骸の一つを指さして姉妹たちに言いました、「屍(しかば

ね)はここにあるけれども、人はどこへいったのでしょう。」一人が「どうだ、どう

だ」と言うと、みんなは真理を明らかにして悟ったという話です。

 こういう問題を真剣に考えて坐るのであります。骸骨の画などが描かれるのは、こ

ういう問題に向き合う為でもありましょう。

 さて、その人はどこへ行ったのか? 

 黒住宗忠の和歌に

  わが姿

  尋ぬるにまた 及ぶまじ

  ただ天地(あめつち)に

  満ち渡るもの

(平成30年10月 横田南嶺老師 入制大攝心 『武渓集提唱』より)

「人はいずこに行く」

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〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

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