白隠禅師の毒
今日は、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、講了を迎えました。
講了とは、雨安居(4~7月の修行期間)の講義の最終日です。
溽暑の中を坐り抜いた雲水さん。
以下は、今日の横田南嶺老師がされた提唱です。
「古来禅の修行は、荊棘(けいきょく)、即ちいばらの林の中を行くようなものだと言われます。
歩きやすい道ばかり選んでいるようでは駄目なのであります。
荊棘といういばらの道を進んでこそが修行です。そこで「荊棘林中一條の路」という
禅語もございます。
北原白秋が、「からまつの林の奥も わが通る道はありけり 霧雨(きりさめ)のかかる道なり
山風のかよふ道なり」とうたいあげていますが、禅の修行は荊棘林中に一条の路を行くことであり、
そして「荊棘林中に活路通ずる」ものでもあります。
それには、毒が大切なのであります。白隠禅の本領というのは、この毒にあります。
白隠禅師は、般若心経に註釈をして『毒語心経』という書を著しています。
また『荊叢毒蘂』という書物が白隠禅師の主著です。
毒がなければ、人間は強くはならないのであります。そしてまた、毒こそが真の薬でもあるのです。
毒によって、迷いの心を悉く殺し尽くすのであります。過去を思い悩んだり、
将来をあれこれ思惟して止まない心、人を分けて隔てる心、すぐに思い上がってしまう心を、
この毒によって殺し尽くすのであります。殺し尽くして始めて安居、安らかになるのです。
隻手の声を聞けというのも、無になれという無字の公案にしても、毒であります。
この公案という毒を喰らって、あれこれと分別してやまない迷いの心を
殺し尽くすのが修行なのであります。
白隠禅師は、毒にも薬もならないような、ただボヤッと坐って空しく時を過ごすことを
嫌いました。いばらの林の中をあえてかき分けてゆく、あえて毒を喰らうというのが白隠禅師の禅であります。
暑い中ですが、暑いのが嫌だから涼しい処へ行こうなどいうのは、真の安楽ではありません。
この暑い中でどん坐ってこそ安楽です。」
講了にあたって、横田南嶺老師が作られた偈(宗旨をうたった漢詩)。
講義の最後に横田南嶺老師が偈をお唱えになって終了となりました。