忍の一字
明治二十年、数え年二十九歳の釈宗演老師は、慶應義塾での学業を終えて、
更にセイロン(現スリランカ)に行く決意をされました。これは、奇しくもその二十五年前に、
その時の釈宗演老師と同じ歳に、福沢諭吉先生が、セイロンを訪れて、現地の高僧に出会い、
その立派な人格に触れて感動したことから、釈宗演老師に、仏教の源流に触れるように
勧めたのたでした。
当時セイロンに行くことは、まさしく命がけでありました。
師である今北洪川老師は、宗演老師に、忍の一字を説いてはなむけとしました。
お釈迦さまが、我が子ラゴラ尊者に忍の大切さを説かれた経典に基づいて、
「忍は安宅(あんたく)たり(堪え忍ぶことこそ安らかな家であること)」、
「忍は良薬たり、よく衆命をすくう(忍こそ良薬であり、多くのいのちをすくうこと)」、
「忍は大舟たり、以て難きを渡るべし(忍は大きな船のように、
困難な世の中を渡ってゆけるものであること」など、忍の素晴らしさを説きました。
そして更に「世はたのむ所無し、唯だ忍のみたのむべし(忍こそがこの世の頼りとすべきものであること)」。
「忍を懐いて慈を行ずれば、世々怨み無し。中心恬然(てんぜん)としてついに悪毒無し」
(自分の身に降りかかったことは堪え忍んで、むしろ自分に辛く当たる者こそ却って
気の毒な者であると慈悲のこころで思いやれば、どんな目にあっても怨み心は起こらないし、
心はいつも穏やかで、悪いことは起こらない」と説き尽くされたのでした。
洪川老師に説かれた通り、様々な苦境にあいますが、宗演老師はただ耐え忍ばれました。
セイロンから洪川老師にあてた手紙にも、ただ「忍」の一字を守っていますと記されています。
修行で大事なのは、なんと言ってもこの忍の一字です。
(平成30年6月21日 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)