自信(自らを信じる)
舞子アジサイ@黄梅院
自信という言葉は、臨済録の中では、何度も出てくる言葉です。
自らを信じるのであります。仏は自分の外にあるのではない、外に
求める必要はない。
臨済禅師の言葉では、今こうして話を聴いているもの、
(今、こうして、このブログを読んでいるもの)これこそが仏である信じる、
納得をすることです。臨済禅師は、これを繰り返し説くわけです。
語録の中では、「自己の外(のもの)に向かって信じよ」という用例は
一例もない。徹頭徹尾、「自らを信じる」であります。
信仰と信心という言葉がありますが、信仰は高く遠いところにあるのものを
仰ぐという意味です。我々、仏教の信というのは、信心の方で自らの心を信じるのです。
江戸時代の禅僧・東嶺禅師は、仏様の心と我々の心と本来同じく備わっていることを
深く信じることだと説かれています。また、機根が優れたものも、劣ったものも、
機鋒が鋭いものも、鈍いものも、差があるにせよ、修行をしていくならば、
達成することができる、納得することができると深く信じることだと
的確に仰せになっています。
{平成30年5月25日 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より}