伝統、伝統と言いながら
我々が坐禅をするのに、今では、臨済宗というと対面に坐り、曹洞宗は
壁に向かって坐るのだいうのが常識となっています。さらに、臨済宗が
向かい合わせで坐禅をすることが臨済宗の特徴であるのごとき言い方まで
されていますが、どうも、近年の研究によりますとそのようなことはない
という説が出ています。
我々、臨済宗の五山の道場に於いても、向かい合わせで坐禅をしているのでは
なく、壁に向かって坐っていたようです。これに関して、江戸時代の学僧・
無箸道忠なども、江戸時代において、「最近、面壁することをしなくなってきた」
という記述をしています。
面壁から対面で坐ることに変わったのは、、江戸時代に黄檗宗が日本に伝わってきた影響と
言われています。黄檗宗というのも、同じ臨済の教えなのですが、お経の読み方、様々な
作法、修行をする様子まで、ずいぶんと変わっていたので、黄檗宗と名付けるように
なりました。
今日、坐禅中に警策で肩をパンパンとたたいているのが、まるで臨済宗の特徴のように
思われていますが、これも、どうも、江戸時代あたりに黄檗宗の流れによって
伝えられたのではなかろうか、また、もともと、なかったのでないかと
まで言われています。
我々の修行においても、よく、そのような歴史を検証しないと、
伝統、伝統と言いながら、本質から外れたことを伝えて、それを
有り難がっていないかを常に検証をしていかなくてはなりまでん。
根本は何であるのか、何を目指して修行をしているのか、ということを
絶えず振り返っていかなくてはいけない。
何をなすべきかということを見失ってしまい、警策をバンバン振り回している
ことが臨済の禅であると勘違いをしてしまうと本質を見失う。
本質は何であるかを絶えず学んでいくために経典、論書、語録を学んで
軌道修正をしていかなくてはなりません。
(平成30年5月22日 横田南嶺老師『武渓集提唱』)