「痛み・ストレスにどう対処するか?」 一日一語130
<寒風の中で マンサク>
横田南嶺老師が先日、居士林で行われたブラウン大学宿泊坐禅会での懇談会で
アメリカの大学生の質問に答えられたことをまとめてみました。
学生:私たちは、普通、身体や心の痛みからは、逃げようしますが、
坐禅をしていると足など身体が痛くなります。その痛みをすべて、
変えずに受け入れるべきでしょうか?
老師:例えば、痛みですが、これは耐えられる痛みと耐えられることに
よって何か得られるという一面があります。
その一方で、痛みは、身体が発しているサインですから、
だから、これは避けた方が良いという別の一面もある。
それは、自分で判断するより仕方がない。今、あなたが正座をしていて
「これは耐えられそうだ」と思って、多少の痛みに耐えて坐れば、
立派なアメリカ人だと言われるでしょう。(一同笑)
しかし、それ以上、正座をしていると立ち上がることができなくなる、
または、ひざに故障がきそうだと思えば、楽な姿勢にしてください。
これは、ストレスでも同じですが、逃げなければいけないものと
受け入れるものと両方があるのです。
ですから、『金剛経』では、固定をした教えはないと説く。
あらゆる人、あらゆる状態に対して効く万能薬のような教えはないと。
であるから、これは、逃げるべきか、耐えるべきか、受け入れるべきか、
拒絶するか、すべては、あなたが判断すべきことなのです。
その為には、冷静な判断が必要です。それを真実の智慧という。
「ただ、痛みに耐えるだけ」にとらわれていたのでは、正しい智慧・判断は
生まれない。「これによって何が得られるのか?」「どうなるのか?」
「その結果、世の中がどうなるのか?」「全体がどうなるのか?」と
いうことを冷静に見つめて判断することができる智慧を確立していく。
ですから、私は、皆さん方にこうしなさいとは言わない。辛抱して
坐禅をしなさいとは言いません。「こんなことをしたら、身体が壊れそうだ」
と思ったら、やめればよいし、「こんなことをしていても、何にもなりそうもない」
と思ったら、やめればよい。しかし、せっかく、こういった研修旅行の
期間を作ってくれていますから、「ここでやめたら、周りの方にも
迷惑がかかる」というような、いろいろなことを総合的に判断して
耐えられるべきところは耐えていく、その辺は、自分が決めるしか
しょうがないところです。
その判断基準は、理論ではなくて感性なんです。感じるんです。
例えば、動物は安全ですか、危険ですか?どの動物が安全か危険で
あるかは、絶対的な法則は成り立たない。安全な動物もいれば、
危険な動物もいる。
それは、自分が危険を察知するしか仕方がない。例えば、自分の前に
動物が来たとする。これは、安全な動物なのか、危険な動物なのか、
いっしょに暮らせるのか、仲間なのかを判断するには、それを感じるしかない。
その感性が敏感でないとわからない。その為に心を磨くのです。
心を磨いていれば、これは、危難が表れることに気づくことができるだけでなく、
危難が表れる前に察知することができるようになります。
それが、心を磨いていく、感性を鋭くしていくことの大事なところです。
理論で判断するのではなくて、感性なんです。
多くの人は、坐禅をすれば、あらゆる動物と仲よくなれると幻想を抱きますが
それは、自分の勝手な思い込みで、そんな気持ちで動物に接したら、
喰われて死んでしまうだけです。(一同笑)
だから、私は危ないと察知したら、逃げる。それが本当の智慧なのです。
<平成29年1月13日 ブラウン大学宿泊坐禅会懇談会にて>