「慈悲の心へと転換する」 一日一語 114
横田南嶺老師が昨日の致知若獅子の会で質疑応答に答えたことをまとめてみました。
お釈迦様に次のようなお話があります。あるお坊さんがお釈迦様のところに相談に
行きました。お坊さんいわく「自分は長いことお釈迦様の話を聞いてきました。
自分中心ではいけないんだということをずっと聞き続けてきた。しかし、
どう考えても自分は自分が一番かわいい。これでは、長いことお釈迦様の話を
聞いても何もならないのではないか」と。
するとお釈迦様はそのお坊さんに言うんです。「そうだ、人間は皆そうなんだ。
やっぱり死にたくないと思う。少しでも元気で若くいたいと思う。病気は嫌だと
思う。自分が中心だと思っている。人のことを素直に喜べない。人間はそうなんだ。
でも、そのことに気が付いたなら、あなたの隣の人も周りの人も誰もが自分が
大事だと思っているんだ。だから、そのことに気がついたら、自分が自分を
大切に思っている、死にたくないと思っている、病気になりたくないと思っている
ように、隣の人も周りの人も同じように自分のことを思っていると気が付きなさい。」と。
そして、最後にお釈迦様はこう言いました。「そのことに気が付いたならば、人を
傷つけるな。」と。
これがお釈迦様が究極に言いたかったことだろうと思うんです。お釈迦様はそういう
説き方をする。いきなり、命を大事にしろ!人間を大事にしろ!と言ったって
なかなか、人間はそうしない。非常に回りくどいやり方なんですけどそれで初めて
「そうなんだ、確かにお釈迦様の言う通りだ、死にたくない、病気になりたくない、
いつまでも若くいたい。でも、隣の人も周りの人もそうなんだ。だったら、隣の人を
大事にしていこう、その思いを汲んでいこう」となるはずです。
こっちが完全にそんな気持ちがゼロになってしまったら、同情できないし、
気が付いてあげることもできない。それが慈悲の心になるのです。
生きていたいと思うことは確かに最初は迷いです。でも、それが本当の慈悲の
心につながる。無常ということに気が付いてそして人をいたわることができたならば
それが本当の生き方なんです。
「自分は、本当に年を取りたくない」そういう気持ちを本当に持っているから
お年寄りを少しでも大事にしてあげよう、少しでも苦しまないように楽なように
手を差し伸べてあげようとこう思うんです。それが大事です。それが慈悲の心へと
転換をするのであります。