僧堂 講了
今日、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、雨安居(4月20日~7月31日の修行期間)の
講了(最終講義)でした。雲水(修行僧)は、4月から7月まで、月に1週間、
攝心(坐禅集中修行期間)に精進してきました。今日で、雨安居の攝心は、
全員、無事に終了となります。
横田南嶺老師が今日の攝心で提唱されたことをまとめてみました。
仰山和尚というお方は、よく予言をされました。仰山和尚は、臨済禅師が修行時分の頃に
「普化という和尚があなたのところに表れて、そして、あなたのことを補佐、助けてくれる」
と言われています。(その予言は、以後、その通りになりました。)
この補佐をする、助けてくれるとはいったい何でありましょうか?
普化和尚は、臨済禅師をどのように助けたのか?助けるということは
どういうことでしょうか?
普化和尚が、臨済禅師に経済的に支援をしていたということは、全く
ありません。また、普化和尚が臨済禅師のことをみんなの前でほめたたえて
宣伝したということも全くありません。
それでは、補佐するとは、本当に助けるということは、いったい、何で
ありましょうか?
それは、普化和尚の補佐というのは、臨済禅師の心境を一番わかっていた
ということに他なりません。自分のことをわかってくれる人がいる。
これほど大き力になるものはありません。
どんなに経済的に補佐をしてくれてようとどんなにほめたたえて
助けてくれようとも、誰もわかってくれる人がいないというほど
辛く孤独なものはありません。
普化和尚は、臨済禅師の心境というものを誰よりもわかっていて、
また、黄檗(臨済禅師の師匠)の禅というものを誰よりもわかっている。
これが、普化和尚の(補佐・助ける)働きでありましょう。
横田南嶺老師が雨安居講了の最後にお唱えになった偈(宗旨を詠った漢詩)。
「九旬」とは、90日間、雨安居(4月20日~7月31日)の期間のこと。
「虚鐸」とは、普化和尚がリンリンと鳴らしていた鈴の音。
無始劫来、今日まで鳴り響いて止まない鈴の音を聞きとるものは、はたしているか?