管長 7月・日曜説教会の映像
https://youtu.be/oQldJcVlP9U
今日は、円覚寺・大方丈において、横田南嶺管長による日曜説教会が行われ
500人に及ぶ大勢の方々が参加をされました。
横田南嶺管長は、明後日の7月12日が円覚寺に縁が深い
鈴木大拙居士の没後50年ということで、大拙居士について
お話をされています。
管長が以前、NHK「こころの時代」の聞き手である金光寿郎さんに
お会いした時に、「番組が始まって60年、数多くの宗教者や学者に
取材をしてきましたが、一番の人は誰ですか?」と尋ねると、金光さんは
「それは大拙先生」と即答をしたというエピソード。
https://youtu.be/FFYbE_LCvEM
また、大拙先生に御付きの方が「阿弥陀様の本願は何ですか?」と尋ねると
先生は、窓の外を指さして「本願が昇ってきたよ。」と言われた。そこで
御付きの方が、窓の外を見るとちょうど朝日が昇っている光景が広がってた
などのお話を紹介されています。
https://youtu.be/gH2fK320Ps8
横田南嶺管長は、最後のまとめで「よく坐禅をなさる人は、今の自分に
足らないものがあると思い込んで、今よりももっと何か特別な力、例えば
いつも動揺しないとか、特別な能力を身につけたいと思われる方も
いらっしゃると思います。
決して、それは否定するものではありませんが、確かに静かに坐禅をする
ことで冷静に判断することができるようになるかもしれない。
しかし、もっと大切なことは、もっと単純なことであって、
今、こうして坐っている、今、こうして生きている、今、こうして
血が通って私は生きているんだというこのこと自体の素晴らしさに
気が付くことであります。
様々な呼吸法がありますが、それらを詮索するよりも、この呼吸を
していること自体が素晴らしい仏様のいのちである、仏様の願いが
今の呼吸に表れている、この呼吸に生きていると感じることが大切です。
ところで、私は以前お会いした数年後に、金光さんに「それでは、
2番目は誰ですか」と尋ねました。金光さんは、竹部勝之進さんという
在家の詩人の方を教えてくださいました。
私が注目をしたのは、「わが身に頭が下がる」という言葉です。
わが身に頭が下がる人は、何ものもおそれない。老いようが病気に
なろうが、死を迎えようが。自分のこの体を有り難い、自分のこの
いのちを有り難いと心から頭が下がると何ものも恐れない。
この体が仏様、このいのちが仏様のいのち、それを賜って今、
生きているこのことの有り難さ、素晴らしさに気が付いた時に
恐れるもの、不安になるものは、消えてなくなると竹部さんは
詠っているのです。
どうか、皆さんも、自分の手を見て、これは誰が作ったものでもない、
仏様の手、いのちなのですから、人様に親切にするように使わなければ
なりません。
皆さんの目は、仏様の目でありますから、人の悪いところ見て批判する
目ではなく、人の良いところを見てあげる目でなくてはなりません。
皆さんの耳も仏様の耳でありますから、人の悩み苦しみを聞いてあげる耳で
なくてはなりません。
この仏のいのち、体を精一杯使っていこうというのが大切なところで
あります。」とお話をまとめられました。