生老病死のままに 「一日一語 94」
今日、円覚寺専門修行道場(僧堂)は、雨安吾(4~7月の修行期間)の
開講でした。
円覚僧堂師家 横田南嶺老師をはじめ、27名の雲水(修行僧)や和尚、
居士(在家修行者)が出席し、開講が行われました。
開講にあたって、横田南嶺老師が偈(漢詩)をお唱えになりました。
訓読
関を鎖す正続の境
伴を結ぶ万年の嶺
語を寄す参玄の客
須らく臨済の禅を窮むべし
注)円覚寺専門修行道場(僧堂)の名称は、万年山・正続院。
横田南嶺老師が今日の攝心で提唱されたことをまとめてみました。
『臨済録』に「真正成壊(しんしょうじょうえ)」という言葉があります。
成壊というのは、成住壊空(じょうじゅうえくう)の言葉からきています。
成住壊空は四つの変化を表していて、あらゆるものは、成住壊空を繰り返します。
成は、まず、ものごとが成り立つこと、その次の住は、出来上がったものが
成り立ったものがしばらくそのままの状態で続くことです。壊は、それがやがて
壊れてしまい、変化してしまい、朽ちてしまって、最後には、空に帰る。
どんなものでも、成り立ち、しばらくそのままの状態が続き、やがて、朽ちて
なくなり、そして最後は空に帰ります。
小さなところを見れば、私たちの体を作っているところの細胞の一つ一つが
みな、それぞれにおいて成住壊空を繰り返しています。庭の草木であろうと
こういう建物であろうとみな、成住壊空を繰り返しています。
大きなところで見れば、私たちが住まわせてもらっている、
この大地、地球も何らかの条件が合わさってこういう丸い玉ができて、
しばらくそのままの状態が続いて、やがては壊れていく、そして最後は
宇宙の露と消えてなくなっていく。
太陽系でありますとか、銀河系でありますとか、それがそれぞれに
成住壊空を繰り返す。生成され、そのままの状態にとどまり、やがて
壊れていって、最後は空に帰る。
端的に言えば、生じては滅すという法則であります。
これがお互いの体の上においては、生老病死として表れます。
生まれて、段々と年をとっていく。生きているということが
一瞬一瞬において老いていくということことであり、最後には
病気によって体が壊れていって死というものを迎えていく。
人間の生涯は、生老病死に尽きます。ものでいえば、成住壊空
であります。その成住壊空に抗おうとするから、そこに
苦しみが生じるのであります。
人間の生老病死もそうです。これに抗い、逆らおうとするから
そこに苦しみが起こるのです。
生老病死のままに、成住壊空のままにありながら、与奪自在、殺活自在、
自由自在に対応していくのが禅僧の生き方です。
生老病死のままに、成住壊空のままに、しいて抗うことも逆らうことのなく
真に思いのままに働いていく、それが真正であります。
{一日一語 94}