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臨済宗大本山 円覚寺

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2016.02.02

誠の「得る」とは? 「一日一語 92」

 横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。

 すでにあるものに、すでに備わっているものに気がつくということが

誠の「得る」というに他なりません。(修行をして)何か新しいものを得た、

何か特別なものが出てきたというのは、すでに迷いあり、間違いであると

言って結構であります。

 本来素晴らしいものは、みんな持って生まれているのです。

盤珪禅師は、それを「不生の仏心」と言いました。それは、

決して作られたものではない、何かによって生じて得られるものではない。

 このことをよく納得してこの不生の仏心、本来の面目というものを

用いようと思えば自由に用いることが出来ることが肝腎です。

目でものを見たり、二本の足で歩いたり、両方の手でお茶碗を持ったり

お茶をいただいたり、歩こうと思えば歩いて行けば良いし、もう休もう

と思えば休めば良いし、働こうと思えば一所懸命に働けば良いし、

もう十分と思えば、そこで休めば良い。

 自分が主人公となって自由に思うがままに為すが良いというのが

臨済禅師のお説きになっているところであります。

{平成27年12月16日 淡青坐禅会『臨済録提唱』より}

誠の「得る」とは? 「一日一語 92」

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