異端の中から本物が出る 「一日一語 91」
今日は、雪安居(10月~1月の坐禅修行期間)の講了(講義の最終日)でした。
講了にあたって横田南嶺老師が偈(宗旨をうたった漢詩)をお唱えになりました。
(訓読) 寒鎖す万年の古法場
通身凍了 禅牀に坐す
九旬辛苦 何の所得ぞ
只見る早梅 点々香ばしきを
さて、横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
今日、禅というと伝統のある教えのように思われていますが、この当時
(馬祖道一禅師が生きた唐の時代)には、決してそうではなかった。
禅宗は、「不立文字」「教外別伝」経典によらない、言葉によらないという
ような、当時の人たちが最も大切に思っている経典などを無視すようなことを
言ったりする。
あるいは、馬祖禅師は「心こそ仏だ」と言った。私たちは今でこそ、
「心こそ仏である」「即身是仏」という言葉は聴き慣れてしまって
何ら不思議には思わないが、これはその当時「心こそ迷いの根本である」と
考えていた仏教に世界から見ればとんでもない教えであって、禅宗は
けしからんと言われていた。
さらに馬祖の系統の臨済禅師は「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては
祖を殺す」というなど、実に禅宗というやからは、とんでもないことを
言うと、当時の仏教の世界から見れば異端も異端であったわけです。
徳山和尚の伝記を拝読しても、お若い頃、南方の方で教外別伝と称する
禅が流行っているから、そんないい加減教えは、けしからんから
滅却してやろうと思われたとあります。
つまり、禅宗というのは、元来、最初の頃は、世間からもてはやされて
いたものではなかった、異端でありました。
日本の禅宗の歴史を見ても、あの白隠禅師は今でこそ日本の禅の正統
のように今日の私たちは思っていますが、おおよそ、あの当時から見れば
異端の最たる者であった思われます。
しかし、そういう異端と言われるようなもの中からこそ、大勢の人たち
からそしりを受けるようなものの中からこそ、本当のものが出てくるという
のがこれも歴史が証明してくれているものであります。