考え方、価値観が違う人とつき合う方法
昨日、今日と開催された冬季宿泊坐禅会(学生坐禅会)は、おかげさまで
無事に終了致しました。
たいへん寒い中にもかかわらず、男性10名、女性8名が参加をされ、
冬の禅寺の生活を体験していただきました。
坐禅会が終わった後、横田南嶺老師と参加者全員との懇談会が正伝庵にて
行われ、参加者から様々な質問がなされ、南嶺老師がそれにお答えになって
いきました。その中の一つの紹介します。
学生:思想や価値観など自分と合わないと思うと人とどう向き合っら良いでしょうか?
老師:自分と違うんだと思えばいい。それだけだ。(一同笑い)自分の考えと同じような
人間は一人としていない。みんな違うんだ。誰一人として同じ人間なんていない。
皆、赤の他人の違う考えをしている。違う考えや価値観を同じにしようとするから
争うんだ。「違うんだ!」と思えば(問題はそれで)終わりだ。
いっしょにしようとするのが間違い。あらゆる間違いはそこだ。
みな自分と同じようにしようとするから戦争が起こる。自分の考えと同じに
させようというのが争いの種となるんだ。
みな違う!と思えば(問題は)終わる。それが東洋の和ということだ。
和ということは、違うものと同じに(いっしょに)暮らすということだ。
最近、若い夫婦が「考えが違う」「価値観が違った」と言って離婚するけれど
それは当たり前のこと。違うんだ。価値観が違うもの同士が(いっしょに)
暮らすと思ってやっていくよりしょうがないだ。
違うのよ。この世にある生き物、生きとし生けるもの何一つとして同じ
ものはない。その違いを知るよりしょうがない。こういう違いがあると
わかって理解して生きていくよりしょうがないだ。
自分とどう違うか、違いを認識した上で折り合いをつけていきていくしか
どうしようもない。
私たちの修行だって、自分の思い通りの寺や組織、団体なんてあるわけがない。
そこにいけば必ずいろんな考え方の人がいる。「俺の言うことを聞け!」という
からけんかになる。
(そういう時)あの人はこういう考えでやっているとよく理解したうえで
自分はこういう風にやろうと思っていれば、うまく調和がとれる。
あの人はああなんだから、ぶつからんようにやっていくしかしょうがない。
(それが)ありのままにものを見ることだ。そのくらいのことがこの頃
ようやくわかってきた。
国と国との争いも宗教の争いでもみな自分の考えが正しいと、それを人に
強要することから喧嘩となる。(みんな)違うんだと思えばいい。
親と子だってそう。言うことを聞けと言ったって言うことを聞くわけがない。
(親と子でも考え方、価値観が)違うんだから。この子にはこういう考えがあると
思って理解して生きていくよりしょうがないんです。
<一日一語 77>