しかしながら、坐禅の修行は、皆仏心の中と悟ってそれきりではありません。
生も死も仏心の中と澄ましていいわけではありません。
仏心の中にありながらも、人は生を喜び死を悲しみ、苦しみ悩むものです。
その悩み苦しみをしっかり見つめ、ともに悩み苦しむ慈悲の心が出てこなければ
なりません。
朝比奈老師は
「慈悲とは慈しみであり、思いやりであり、人の不幸を見て、ああ、お気の毒な、
どうにかしてあげたいと思うだけでも善業です」
と説かれています。この慈悲心こそ仏心にほかなりません。
{南嶺老師著 『祈りの延命十句観音経』(春秋社)より}