一日一語 57
<居士林山門・・・今が一番の見頃です>
最近、いろいろな人から冊子を送っていただいています。その中に
滋賀県の学校の先生が自ら作り、そして毎月、送っていただく「虹天」という
小冊子があります。
その先生は、森信三先生の教えを学び、鍵山秀三郎先生の掃除道を
実践しながら学校で教鞭をとっている実に感心させられる先生です。
今月の「虹天」に思わず一人で涙を禁じえなかった話が載っていたので
紹介します。この話は、私たちの(禅の)修行と実に深くかかわっています。
この話は、滋賀県の高等学校の話で、その私立の学校は、午前中の授業を
終えると、午後はアルバイトをするというのが授業の一環になっています。
その高校の女性徒のkさんは、将来、料理をやりたいと思い、あるホテルの料理場に
申請をした。ところが、その料理場というのは、厳しいことで有名で最後まで
そこでアルバイトを続けられた生徒はいませんでした。厳しい料理長がいて
どの生徒も続かない。
そこで担任の先生がそのことを伝えると、kさんは「私はそういう厳しいところで
ないと技能が身につかないと思いますから、ぜひそこに行きたいです」と言いました。
そしてその料理場へと行きました。そこでは、40人ばかりの生徒が皿洗いから始めて
4月から始まって夏休みなるころには、少しずつ、皿洗いから卒業して、盛り付けや
キャベツの千切りなど次の過程に進みました。
しかし、kさんだけは、いつまでたっても皿洗いのままでしたので、取り残されたと
いう気持ちになり「もう、やめようかしら」と思いながらも、1年間、ずっと、皿洗いを
続けたのでした。
ある日、担任の先生のところに行き、このことを相談すると、
先生はkさんに「自分は一生懸命やっているつもりかもしれないけれど、周りの人が
それを認めてくれなければ、世の中は通用しないものだよ」と諭しました。
そして、続けて「明日から、どうせ皿洗いをやらねばならないのならば、
日本一の皿洗いを目指して努力してみたらどうか」と励ましたのでした。
そこでkさんは、日本一の皿洗いになってみようと努力をして
「どのようにしたら、少しでも時間が早く洗えるか?」
「どのようにしたら、少しでもきれいになるか?」と一生懸命やったのでした。
一生懸命やっていると、皿洗いしているのが、嬉しく、楽しくなってくる。
嬉しく楽しくなってくると、その態度を周りの人が見て「あの子はいつも
楽しそうに1年以上皿洗いをしている」と話題になり、それが、料理長の耳に
届き、kさんの皿洗いの様子をちらりと見て、「キャベツの千切りをしろ、私が
見てあげよう」と言ったのでした。
kさんはそれを聞いて喜んだのですが、ただし、料理長は条件があると付け加えました。
それは、「皿洗いの合間にキャベツの千切りをしろ」ということでした。
それからというものkさんは、一生懸命、皿洗いの合間を見つけてはキャベツの千切りをし
料理長に持っていく。しかし、持っていくとそんな切り方ではだめだとそのままゴミ箱に
捨てられてしまう。千切りをして持っていっては捨てられるが3か月も続きました。
さすがのkさんも、これには料理長に対する腹立ちと疑念が湧いてきて、「こんな立派な
ホテルの料理長でありながら、食べ物を粗末にするような人ではしょうがない」と思い、
もうやめようと、担任の先生へ相談にいくと、先生は「それじゃ、やめる前に一つだけ
訊いておきなさい。あなたが切った、そのキャベツは誰がお金を出してくれものですか?と」
そこで、kさんは、社員さんにそのことを訊いてみると、「あなたが刻んでいたキャベツは、
お店のものではなく、料理長が全部、自分のポケットマネーで買ったものだ」と言いました。
また、社員さんいよると、料理長は決して人を褒めるような人でないが、ある食事の席で
「あの皿洗いは見込みがある」と珍しく言っていたと。そして「私の手元で育ててあげたいと
思っている」とももらされていたと。
それを聞いたkさんは、心を入れ替えて再びキャベツの千切りを毎日、毎日してやっと
2か月後にようやく、料理長に認めてもらい、料理長の一番側で料理を習うことになった
のでした。
kさんの高校時代が終わるころ、学校に警察から電話が入ってきて何事かと思い
担任の先生が出ると、kさんのお母さんが交通事故に遭ったいうことでした。
kさんは、お父さんがいない、お母さんと小学生の弟の3人暮らしで、
そのお母さんが交通事故に遭ってしまったのです。
担任の先生は、kさんを連れて急いて病院にいきますが、お母さんはもう
お亡くなりになっていました。そして、家族状況が、とても葬式が出せる状況ではないので、
学校の仲間がどうにか協力してお通夜の準備をしていると、黒塗りの車が停まって
中からきちっと喪服を着た紳士が降りてきて、誰であろうかと思うと、なんと
料理長が「遅くなりました。」詫びてから「この子が困っているのであれば、私が
すべて面倒を見ます」と言って、そうして、その後のお通夜からお葬式まで全部
ホテルの人がやって料理もすべてホテルで賄ったのでした。
お葬式が済んで、担任の先生と料理長が話をし、料理長はkさんのことを
「こんなに根性のある人を見たのは初めてだ。こういう子を自分は育てていきたいと
思う」と言ったのでした。現在、kさんはホテルで働いて料理長のもとで立派に
やっている。
お話は以上であります。これは別段、キャベツの千切り大会に出る修行をしている
訳でもなければ、皿洗い大会に出る修行をしているわけでもありません。
皿洗いをやキャベツの千切りを通して何得たのか?が大事なのであります。
同じことをやっていても、こんなことやって何になるかと仕方なしにやるのと
のんべんだらりとやるのと、一生懸命、真剣にやるのと、何を見ているかです?
工夫が足らない、千般万般あらゆる工夫を尽くして努力してやらなければいけない。
ただ、惰性でいくら何十回、何百回やろうとも何にもならない。真剣に真剣に
掘り進んで掘り進んでいって、初めて、こうだという確かな体験ができるものです。
{平成27年 臘八大攝心6日目 『仏光録提唱』より}