一日一語 54 ~僧堂攝心編~
「大事因縁」という言葉があります。これは、法華経『方便品』にある
「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうと名づくる。
諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、
清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。」の
言葉です。
みんなに仏様の智慧を開いてあげたい、みんなに仏心とは何であるか
はっきりとさせてあげたい。こう自ら願うことが大事因縁に他ならない。
それには、まず、自らの仏心・仏性を明らかにする。そして、その仏心を見失って
いるがために、むさぼり、いかり、ねたみ、憎しみなどで苛まれて人、迷っている人に
仏知見を開かしめてあげる。仏心とは何であるかを気が付かせてあげることが、
私たちお坊さんの務めであり、一番の大事因縁です。
世間の欲望の虜(とりこ)になっている人たちを正しい仏心に目覚めさせてあげる。
最近の傾向として、お寺が世間の欲望を提供するような場となりつつあることは
少し、ずれていると思います。大事因縁を忘れてはいけません。
この大事因縁を成就させて仏祖の道を決して途絶えることのないように
していかなくてはなりません。
大事因縁というものは、まず、自己の仏を明らかにする。それには、
盤珪禅師が仰せになっているように「めいめいは、生まれながらに、
生まれついたのは、仏心・仏性一つ。仏心以外のものは、世のものは
一つも生みつけてはござらぬ。」であります。
しかし、なぜ、我々は、生まれつき仏心・仏性を持っているにもかかわらず、
現実の世の中や我々を見ても仏のままでいることができないのか?
また、世界で争い、殺し合い、憎しみ合いの連鎖がおさまらないのはなぜか?
それを仏教では、五蓋(ごがい)で説明します。
五蓋とは、
一、貪欲(とんよく) ・・・もっとむさぼりたい、もっと食べたい、もっと眠りたい
もっと楽をしたい、もっとのんびりしたなど
二、瞋恚(しんに)・・・怒りやすく、腹を立てる、憎しみ、妬み
三、惛沈睡眠(こんちんすいみん)・・・心がぼやっとしてくる、意識が朦朧としてくる
やる気がなくなるなど。
四、掉挙(じょうこ)・・・心が錯乱し、ざわつく。
五、疑(ぎ)・・・こういうことをやって何になるかという疑い。
このような五蓋が蓋のように私たちの仏心に覆いかぶさって、本来の働きを
くらまさせてしまう。
ですから、只管打坐してこれらを取り除いていかなくてはいけない。
それには、気力が一番の頼りであり、いや、気力しか頼りとなるものは
ないと言ってよいでしょう。
その気力はどこから湧いてくるのかは、いつも言っている通り、おへその下、
気海丹田からです。どうして眠たくなるのか?どうして心が沈むのか?
それに対抗するには、気海丹田に全身の気を込めて腹の底から気力を
振り絞って、自分自身と闘いを挑んでいく覚悟で、負けてなるものか、
負けてなるものかと取り組んでいくより他はありません。
{平成27年12月3日 臘八大攝心3日目 『仏光録提唱』より}