一日一語 ㊻ ~僧堂攝心編~
<夕景>
臨済録に「你(なんじ)若し求むること有れば皆苦なり。
如かず、無事ならんには。」とあります。それは、ここでの課題の
心心不異となることに他なりません。お互いの一念一念と仏心が
寸分も違うことがないということです。
しかしながら、ただ、何もせずに何も求めずに心心不異となることは
ありません。やはり、正念相続、正念工夫が大事であります。
今、皆さん方が取り組んでいる無字の工夫、無字の呼吸(坐禅して丹田に
気力を込めて吐く息合わせて「ムー」と成り切っていく呼吸)というものを
絶え間なく、隙間なくやっていくことによって、はじめて、お互いの
一念一念が仏心・仏性そのもであると自覚につながっていくものです。
この工夫、自覚なくして、ただ、臨済録の言葉だけを読んで
「ああ、無事で良いのだ」とか「お互いの心はそのまま仏なんだから
これでいいのだ」と思ってしまったら、それでは、臨済録を読んだことが
仏心・仏性を見失う妨げとなってしまいます。
ですから、正念工夫、正念相続が肝心なところなのです。今まで祖師方が
様々な工夫の変遷を経て、これが一番効果的というのが、今、我々が行っている
無字の工夫、無字の呼吸の修行であります。これを毎日、実地に行って
正念工夫、正念相続をしてはじめて心心不異、無事にして坐禅することが
できるのです。
{平成27年11月24日 月並大攝心5日目 『臨済録提唱』より}