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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.11.24

一日一語 ㊺ ~僧堂攝心編~

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<参道>

 心の本質においては、本来、生まれたとか滅するとかは、ありはしない。

何も本当は生じたものも滅したものもない。ただ、波が浮かんでは消えていく

様子だけのようなものであります。ほんの表面の一部分だけをみて泡がうかんだ

波が浮かんだと一喜一憂していますが、もっと深いところを見れば、浮かぶものも

なければ、消えるものもありはしない。

ただ、仮に浮かんだ波の一つに名前をつけただけことです。浮かんだ波に

いかりという名前をつけたり、むさぼりという名前をつけたりしますが、

そんな名ですら、空(くう)、つまりは仮のものです。

 ところが、我々はその仮につけた名を実在しているものと思い込んで

大きな間違いを犯している。

 仮に設けた概念、思い描いたものにすぎないものを実在していると

錯覚をしている。

 心の本体は、仏心・仏性一つしかない。しかし、仏心・仏性は、姿・形がなく

言葉で表現することができない。また、思い図ることもできない。

それを人々にわかりやすく示そうとして、阿弥陀様や観音様が作られました。

 仏心・仏性は、ずっと生き通しのいのちです。無量の命です。それを

無量のいのちの仏様というので阿弥陀様に姿・形を変じて人々に示しました。

 また、仏心・仏性は、大宇宙いっぱい、大千世界いっぱいなので、

毘盧遮那仏という仏様の姿・形に変じて表しました。

 仏心・仏性は、実にやさしい、人々が苦しんでいると

救いの手を差し伸べてくれる、素晴らしい働きするというので

観音様という姿・形に変えて表現したのです。

 さらに、仏心・仏性は、何の不安もなければ、何のおそれもない、常に

清らかな世界であるというので、極楽浄土という姿・形に変えて示しました。

 このように心の本体そのものは、表し伝えることができないので、

仮にいろいろな姿・形に変えて人々に伝えようとしたのが

様々な仏様なのです。

{平成27年11月23日 月並大攝心中日 『臨済録提唱』より} 

一日一語 ㊺ ~僧堂攝心編~

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