一日一語 ㊶
<総門にて>
お釈迦様の修行、お悟りというものは、あくまでも自分自身のこの苦しみを
具体的にどのように逃れることができるのか?どう救われていくことができるのか?
どこまでも自分の心の問題とした。
自分のこの心というものが様々な迷いを作り出している元凶であると気づかれた。
その心の本質というものはいかなるものか?それは、お釈迦様が難行苦行の末、
菩提樹のもとで坐禅をしてお互いの心の本質・本性をはっきりとさせられた。
お互いの心の本性・本体は、実に清浄で安らかで穏やかで光明に満ちたもの
で、ただ、単にじっとしていて静的ではなく、その時その場に応じて
自由自在に働くことができるのが心の本心・本性であると気づかれました。
その心の本心・本性に於いては、不生不滅、生ずることもなければ、滅することも
ない、これ以上清らかになるということもなく、これ以上穢れるということもない。
永遠に静かで永遠に安らかで光に満ち溢れたものであると気づかれた。
それを仏心・仏性といい、その仏心・仏性を純粋に伝えてきた教えが
私たちが学んでいる禅宗という一派です。
{平成27年11月5日 淡青坐禅会『臨済録提唱』より}
(後記)
今朝から26日まで、円覚寺僧堂(専門修行道場)では、
月並大攝心(1週間に及ぶ集中坐禅修行期間)となります。
円覚寺僧堂師家(指導僧)である横田南嶺老師をはじめ、
26名の雲水(修行僧)、居士・禅子(在家の修行者)らが
禅堂に詰め修行に精進します。