一日一語 ⑲ ~攝心提唱編~
私たちの心は本来、浄らかで素晴らしいものであるから、もう、それ以上
荘厳(飾りつける)する必要はないものです。その心が逆に一切のものを
荘厳していくことができると臨済禅師は説いています。
お互いの心というのは、単にこれ以上飾る必要がないだけではなく
この心の方があらゆるものを荘厳していく大きな働きを持っているという
ことであります。
単にこの心は尊いものであるで終わるのではなく、この心の光・輝きが
周りを照らし出していく。この世をさらに一層素晴らしいものに荘厳を
していくのです。そんな大きな活動性を持っているのがお互いの
この心であります。
ここに菩薩の願行が出てくる。大乗や禅の教えの大切なところです。
心の尊さに目覚めることが、まず第一です。様々な修行を積み重ねる目的は
積み重ねたことを誇ることや自慢することではありません。
また、積み重ねた修行自体に意味があるのでもありません。
大切なことは、各々が持って生まれた本心・本性、仏心に目覚める
ことで、そうすれば、その仏心は、修行をしたからといってこれ以上
飾る必要のないものと気が付くはずです。
そう気が付いたうえで、毎日のお経、掃除、坐禅をしていく。
そして、そこで終わりではなくして、さらに一歩進めて、この心で
あらゆるものを荘厳していくのです。一切万物を、この世をさらに
輝かせしめる。それが仏心が願行となって外に働き出していく様子であります。
{平成27年10月28日 入制大攝心最終日 南嶺老師 臨済録提唱より}
(後記)
おかげさまで、円覚寺僧堂(専門修行道場)での入制大攝心(1週間の集中修行期間)は、
昨日で、無事に全過程を終了致しました。