すべては仏心の姿
<日曜坐禅会・・・場所 大方丈 日時 第1,3,5日曜日 8:05~9:30 開催中>
横田南嶺老師が、今日の日曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
「波をはらい水をもとめる、波はこれ水」という言葉あります。波というものは
水の様々な条件に触れて波を起こします。私たちは、貪りの波、いかりの波、
愚痴愚かさの波と心の波を起こして苦しんでいますが、それらが、迷い・苦しみ
そのもであると見て、その波すべてを捨て去ってしまう必要はありません。
波の本質は水であったと気が付きさえすればそれで迷いは収まるのです。
今、日本列島の各地で火山活動が活発化してきています。火山の噴火による被害は
できるだけ避けたいものでありますが、火山活動そのものが悪かというと、決して
そうではなく、私たち生命は、多くの恩恵を受けているのです。
例えば、身近なところでは、火山活動のおかげで程よい温泉に入ることができるという
一面もあります。
火山も噴火も程よい温泉ももとをただせば、同じという見方もできるはずです。
火山の噴火するところというのは、人間の力では止めることできずに、必ず噴火
するところです。私たちがいくら坐禅をして修行をしたからといって活火山を
休火山にすることは到底できるものではありません。
あれは、活火山であると知りせいぜい近づかないで安全な対策をすることしか
私たちには出来ないでしょう。
人間の心もこれまた、活火山のような大自然と同じです。中には、活火山の
ように、怒りや感情を爆発させる人もいるでしょう。そういう人を私たちが
休火山のように、心を静めさせてあげることは、たいへん難しいことです。
そういう時は、「あの人は今、噴火活動を起こしているのだから、
近づかないようにして、避難しなければならない」と程よく生きていくことが
道理なのではないでしょうか。
噴火活動から程よい温泉に至るまでそういうすべての活動自体、大いなる働き
そのものがまるごと仏心なのです。私たちは程よい温泉のような、私たちにとって
都合の良いものしか見ようとしません。
例えば、天気というのは、雷になる時もあれば、竜巻になる時もある。嵐になる
時もあれば、こうして少し暑い時もある。お彼岸のようにちょうどよい気持ちの良い
時もあります。
それら全部をひっくるめて大自然というのです。そういうもの全部ひっくるめての
大いなる働きが仏心なのです。その仏心の中、いや、仏心そのものを私たちはこうして
生きているのです。
仏心では、状況が状況ととして現れてきます。坐禅をしたからといって、心が、常に
雲一つない青空の状態を保つというのでは、決してありません。雲一つない青空を保ちたい
というのは、自分の都合の良い見方にすぎません。
大切なことは、冷静な眼を持って、今どのような原因でどのような状況が現れているのか
その仕組みをよく知ることです。それが因縁を知るということです。私たちは、その因縁によって
生じている様子を良く知ることによって、物事に振り回されずに上手に対処して生きていくしか
仕様がありません。
即心是れ仏という言葉があります。銘々の心にどのようなものが現れようがそれが仏心です。
人間は、程よい温泉やいつも親切でやさしい人など自分の都合の良いものは受け入れたがります。
しかし、心には、逆に自分にとって都合の良くない嵐や雷や噴火ような心も現れます。
それらももとをただせば全部、大自然の姿、仏心の姿なのです。
仏心は我々の善悪を超えて大いなる深いものです。この大宇宙の働き、大宇宙そのものが
仏心なのです。
(後記)
次回の日曜坐禅会は、9月20日(日)8:05~9:30となります。
横田南嶺老師による「伝心法要」の提唱もございます。
どなたでも自由に参加することができます。皆様のご来山を心よりお待ちしております。