肚を据える
円覚寺の境内には、高砂百合が咲き始めました。護国塔にて。
妙香池にて。
横田南嶺老師が日曜説教会(6月14日)で提唱されたことをまとめてみました。
南禅寺の柴山全慶老師の言葉があります。「何も悩まない、苦しまないと
無理に力む必要はない。むしろ、どんなに苦しもうと一点の疑いなく肚が
据わっていることだ。そうであるならば、どんな死に方を迎えようとも、
それは一段の風流である。」
それでは、どんと肚が据わるとはどういうことでしょうか?
松原泰道先生は、大勢の前で話をするときなどに緊張しない、あがらない方法は
何かについて言及されています。緊張しないように、あがらないように努力する
よりも、あがっても良いのだと肚を据えなさいと仰せになっています。
仏心の教えも同じです。みんな仏様のいのちに帰ると聞いたからといって
それで安心して、安らかな気持ちになって、さも、平然としていることでは
決してありません。
上がっても良い、苦しんだって良い、悲しんだって良い。どんなに緊張しても
どんなに苦しんでも、どんなに悲しんでも、それは全部仏心の中だと受け止める
ことができれば、本当に肚を据えることであります。
悲しまずに平気でいることは無理なことです。泣いたって良い、叫んだって良い、
それが全部、柳宗悦の歌のように「吉野山、転びてもまた花の中」と受け止めることが
一番、肚を据えるということではないでしょうか。
松原泰道先生の話にはもう一つ落ちがあります。話をする時はいくらあがってしまって
良いといっても、緊張して思うようにいかなくて失敗することがある。しかし、
死ぬということは大丈夫だ。必ず死ぬから、力む必要はないと仰せになりました。
生きている時というのは、お互い、命のある限り精一杯、一日一日を生きて
参りたいと思います。与えられた命、賜った命です。
松原先生はまた次のようなことも説かれいます。「小さいことでも少しでも
悪いことを避けて、善いことにつとめる。どんなささいなことでも人には
良くしてあげよう。これが御仏の教えであります。」と。
少しでも人様のお役にたてることができるように精一杯努めることが
肝心です。そうしたうえで、もし、何らかの事情でお迎えがきた時が
松原先生が申しておられるように「有り難うの一言が周りを明るくする、
おかげさまの一言が自分を明るくする」を実践をする時であります。
「有り難う」「おかげさま」、これが仏様の精神です。どんなに
悲しんでも、どんなに苦しんでも、どんなにもだえようとも、
そこが御仏の真っ只中であり、どこにいても「吉野山、転びても
また花の中」であります。このことだけは、肚に据えて一日一日を
つとめて参りたいと思います。
<お知らせ>
明後日、8月9日(日)は、日曜説教会(場所 大方丈)が開催されます。
9:00~10:00 法話(円覚寺派管長・横田南嶺老師)
10:00~11:00 坐禅
どなたでも参加することができ、毎回、500人に近い老若男女が
参加されています。
皆様のご来山を心よりお待ちしております。