母を念(おも)えば
ー居士林の庭の梅も満開ですー
円覚寺派管長・横田南嶺老師が日曜説教会(平成26年5月11日)で提唱されたことを
まとめてみました。
坂村真民先生が90歳を越えてから書かれた「母を念(おも)えば」(坂村真民全詩集第8巻p232)
という詩があります。
{母を念えば
どんな苦労も
じっと耐え
生きる力が
わいてくる
母を念えば
手足の爪も
母のいのちの
こもるもの
母を念えば
鳩寿過ぎても
子供なり
・・・}
坂村先生の90歳を過ぎても、なお、お母様を思う気持ちに、私は非常に心を打たれました。
90歳を越えても、母を念えば自分は子供になる。いくたび生まれ変わろうが
どんな風になろうとも母と子のこの絆は変わることがない。
明日どうなるかは誰にもわかりません。死んだ後どうなるかも、また、誰にもわからない。
しかし、親が子を思い、子が親を思う、こういう心・まごころは、決してかわることがなく
受け継がれていき、消えないものであると真民先生のこの詩から改めて気づかされます。
よく使う禅語があります。
{此の秋は 水か風かは 知らねども
その日のわざに 田草とるなり }
この秋は台風が来るかもしれないし、予期せぬようなことが起こるかもしれない。
たとえどうなろうとも、私たちは今日の務めである田草を取るのだという内容の歌です。
明日があることを信じて、親子の愛のように変わることのないものが
あることを信じて、今の自分に与えられた務めをやっていけば自然と
成るように成るものです。