妙な世の中になった
円覚寺派管長 横田南嶺老師が、昨日、居士林で行われた淡青坐禅会で
提唱されたことをまとめてみました。
本を読んで学ぶことは決して悪いことではありませんが、しかし、
読んで得た知識に執着してしまったり、とらわれてしまってはいけません。
自分が本を読んで得た知識というのは、全体のほんの一部分でしかない、
全体のわずかな一部分にふれたに過ぎないということがわかるように
ならないと自分の得た解釈だけにとらわれててしまい、執着となり
はてには、他人との争いとなってしまいます。
詩人・坂村真民さんに「妙な世の中になった」という詩があります。
「妙な世の中になった」
{昔は本を読んだら賢くなったが
今は読めば読むほど
おかしくなる本が多くなった
食べ過ぎ
読み過ぎ
みな何かに毒されて
自己を失ってしまう人が多くなった
薬を飲んで
却って悪くなり
本を読んで
却って気が狂い
妙な世の中になった・・・}
(坂村真民全詩集第7巻 p151)
臨済禅師に「人惑を受けることなかれ」という言葉あります。
「何はともあれ、ものについてまわってはいけない」という意味です。
もちろん学ぶことを全部否定するわけではありません。大事なことは
「学ぶことによって何に気がつき、何を得ていくか?」であります。
あまりにも様々な情報があふれ過ぎている現代は、まさに
「食べ過ぎ 読み過ぎ みな何かに毒されて
自己を失ってしまう人が多くなった 薬を飲んで 却って悪くなり
本を読んで 却って気が狂い 妙な世の中になった」という
真民先生の表現通りとなってはいないでしょうか。
「人惑を受けることなかれ」が難しい環境です。電車に乗れば
ケイタイ電話などをチャッチャチャッチャといじって、何やら
ああいったものに振り回されて却って自己を見失っているとしか
見えない人たちを大勢見かけます。
それでも、やはり「人惑を受けることなかれ」です。時には、やはり
ケイタイなどの電気を切って静かに自己を見つめることも大切です。
時には本を閉じて何ものも求めることなく、ただ、自分が今、呼吸している
ことだけを味わって静かに自己を見つめて坐ることが、今日のような
情報社会にあってはますます必要なのではないでしょうか。
そうでなければ、自分の得たわずかな知識に執着し、とらわれ、はてには
争いが続いてしまいます。