阿弥陀さま
横田南嶺老師が僧堂摂心で提唱されたことをまとめてみました。
阿弥陀さまとは、人々を救うために四十八の誓願を立てられた仏さまで、
阿弥陀さまの本当の願い(本願)はその中の第十八願にあります。
「私(阿弥陀さま)の名前を少なくとも十遍唱えたならば、必ず極楽浄土に往生させる。この誓願が叶わぬ限り、私は仏になることは決してない」
浄土宗ではこの本願によって人々は救われるとされています。
ある時、行空という弟子が
「念仏を十遍唱えれば、阿弥陀さまが迎えに来て下さるというのは本当でしょうか」
と法然上人に尋ねました。これに対して法然上人は、
「あなたがその手で虚空を掴むことが出来たら、必ず阿弥陀さまはご来迎下さるでしょう」
と答えたそうです。
人から聞いた話を頼りに、想像で作り上げた阿弥陀さまの姿形のみを探し求めれば、あちらこちらを彷徨うだけで、却って阿弥陀さまを見失う。
虚空を手で掴むようなものです。
阿弥陀さまは迎えに来てくれるのか
阿弥陀さまは本当にいらっしゃるのか
阿弥陀さまとは一体何であろうか
阿弥陀さまを求めて求めて、求めつくして、求める心の働きまでが途絶えてしまった時、
阿弥陀さまは目の前に現れる。
山本空外上人という方が阿弥陀さまについて以下のように仰ったそうです。
阿弥陀仏とは、私たちが今生きているという、この命を表わす言葉である。
心臓も自分で動かすことなく自然に動いており、大自然の命が私たちに働いている。
この命の根源を阿弥陀さまというのである。
私たちが普段何気なくしている、一呼吸一呼吸こそが命の根源であり、阿弥陀さまです。
趙州の無になりきるのも、ナムアミダブツと唱えるのも、大自然の命と一つに溶けあって自我を無くしていくことに変わりありません。
無限の慈悲の心に満たされて、生かされているのだと気づかせてくれるのが、念仏であり坐禅であります。