どん坐る
横田南嶺老師が本日の僧堂制末大摂心(2日目)で提唱されたことをまとめてみました。
「屋後青山逐年均 庭前梅蘂歴寒新 咦 老僧當軒大坐」と正受老人崇行録にあります。
<意訳>
この庵の後ろには山々が連なっている。山の景色は年を経ても変わることはない。
庵の前の庭には梅の花が咲いている。寒さを経て今年もまた新たな梅の花が咲いた。
ニイ (このいのちがわからぬか)。
わたしはここでどん坐っているぞ。
臨済の禅の本質とは、今こうして坐っている、今こうして話を聞いている、なーるほど仏はここにおったわい、
と気づくことに他なりません。
めいめいがもって生まれたこの尊いいのちは、お釈迦様にも達磨様にも劣りません。
そんな尊いものをもっていながら、自分は凡夫だ自分は迷っていると自ら成り下がってしまい、外のもの他のものにしがみつき束縛されてしまいます。
そんな束縛を払いのけて、自己の中に大光明を放つ。自己のほかに別段何もありはしないと気づく。
それが臨済の教えです。