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臨済宗大本山 円覚寺

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2014.06.26

変わらなければ生きていけない

半制大攝心 最終日
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 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 アントニー・デ・メロというスペインの司祭が書いた『心の歌』という詩集の中に、

こんな言葉があります。

 {変わろうとするのをやめるとき

 そのときは

 生きようとするのをやめるとき}

 明治維新の時代の変化の中で、円覚寺も「今までと同じようにしていたのではいけない

大変革、こちらも変わらなければ生きていけない」という状況でした。

 そのような中で、今北洪川老師や釈宗演老師は時代の先を見る、先見の明を持っていた

ので困難を乗り切ることができたいっても過言ではありません。

 とりわけ、今北洪川老師はそれまで一般の民衆が寺に坐禅に来ることなど誰も考えて

いなかった時代、明治の始めに円覚寺にまず、一般の民衆が坐禅を出来る為の「居士林」

のもととなる道場を開いた。

 それまでは、時の政府やその上層部の人だけを相手にしていたのだがそれを一般の人に

開放したのです。廃仏毀釈もあり、仏教界の危機的状況に「変わらなければ生きていけない」

と気づかれたのでしょう。

 それを引き継ぐ釈宗演老師は、なお、いっそう先見の明があった。満32歳で円覚寺管長に

就任すると翌年、シカゴで開かれた万国宗教者会議に出席し、そこで初めてアメリカで

仏の教えを説いた。それが縁になって、鈴木貞太郎(のちの大拙)を派遣。それが今日の仏教や

禅がアメリカや欧州など世界に知られるようになったきっかけのもととなった。

 このような進取の気風に富んだ釈宗演老師ですが、それでいて、この方ほど禅の伝統修行を

おさめた方はいないでしょう。12歳で修行を初めて25歳には洪川老師から印可されている。

 新しく変わるということは、つまりそれまでの型を破るということは、伝統的な型を

きちんとならって教わっておさめて、はじめて、出来るものである思います。

 伝統的な型をきちんと身につけた上で「これでいいのか?このままでいいのか?

「何をしなければいけないのか?」と問いかけて、その時代その時代に合わせて

新しく変わり続けなければならないのではないでしょうか?

{平成26年6月22日(日) 釈宗演老師臘八示衆提唱より}

 

 

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