寝ても覚めても
11月20日(水) 月並大攝心 初日
円覚寺山内・如意庵さん前の紅葉。
今日、横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
白隠禅師は正受老人のもとで修行をしているとき、「自分は起きている時は
きちんと意識を保つことができるが寝てしまうと修行もどこかに行ってしまいます。
寝ても覚めても一つという境地にはとてもなりません。どうしたらいいのですか?」
という疑問にとらわれ、師匠である正受老人に尋ねました。
正受老人は、質問がまだ終わらないうちに白隠さんを押し倒して「何をたわけた
ことを言うか!昔も今も寝ても覚めても常に同じで無かった人は一人のいないぞ!
そんなことでお前さんどうするか!」と叱咤されました。そこで白隠さんも
はっと気づくことがあったのでした。
相撲の甚句に
櫓太鼓に ふと目を覚まし 明日は どの手で投げてやろ
とあります。相撲取りは寝ている時でも明日の取り組みはどういう手で
やろうかと考えている。ふと目を覚ましても考えている。寝ても覚めても
1枚でなければいけない。
私たちもそうです。たとえ寝ている夢の中でも参禅をしている夢をみるように
なるまでいかなくてはいけないし、さらに夢の中で公案(禅の問題)の見解(答え)
が出てくればたいしたものです。
修行は、そういう風に寝ても覚めても1つになってやっていくことが肝心です。