続灯庵のご老僧
10月20日(日) 入制大攝心・初日
円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日から雪安居(10月~1月の集中修行期間)の
始まりです。横田南嶺管長は、今日の開講(雪安居最初の提唱)で、一昨日に96才で
ご遷化された円覚寺山内・続灯庵のご老僧のお話をされました。
「 続灯庵のご老僧が一昨日御遷化なされました。今日は居士林の方も大勢見えていますが、
今日の居士林のもとを築かれたかたでした。また戦後の円覚寺を支えた方のお一人でも
ありましょう。飄々と境内を歩かれるお姿は、まさしく禅僧のお姿でありました。
私の代になってもよく講座に見えてられておりました。忘れられないのは、ある日のこと、
講座が終わって隠寮に戻ると、老僧が当時八十を超えてらっしゃいましたが、隠寮に見えて、
さっきの講座の言葉を書いて欲しいと頼まれました。何だろうかと思うと、
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という論語の言葉を説明しようとして、
アントニー・デ・メロという方の詩を引用したのでした。
それは「何もかもなげうって死さえいとわないほど価値ある宝が見つかったときにこそ、
人は本当の意味で生きる」という言葉でした。この言葉を書いて欲しいという事でした。
八十歳を超えてなお、こういう言葉に感動して、若い私に書いて欲しいと頼まれる、
その志に深く打たれました。忘れ得ぬ思い出です。この道にいのちをかけるなどと言っても、
今日の恵まれた時代にはかえって難しいことかも知れません。
老僧九十六歳病無くして寂然と遷化されました。恰も生けるが如きお姿で入定とは
こういう事を言うのかと思いました。一生涯をこの道にかけたればこそのお姿でも
ありましょう。
奇しくも入制の摂心を迎えて、ご老僧がこの僧堂のすぐ上の続灯庵で、今なお生けるが如く、
私の拙い講座を聞いて下さっていると思って勤めて参ります。」