良寛さんの漢詩「毬子」
7月23日(火)
第78回 円覚寺夏期講座は、おかげさまで、昨日で全日程を無事に
終了することができました。初日は、1000人を超える人が聴講にお見えに
なるなど、たくさんの方々にご来山いただき、誠に有り難うございました。
夏期講座3日目にお話しされた河野太通老師が講座の最後に良寛さんの
「毬子(きゅうし)」という漢詩を紹介されました。あとで複数の方から
あの詩をブログで載せて欲しいという要望をいただきましたので紹介させて
いただきます。
「毬子(きゅうし)」
袖裏繍毬直千金 {袖裏(しゅうり)の繍毬(しゅうきゅう) 直千金}
自誇好手無等匹 {自ら誇る 好手(こうしゅ) 等匹無しと}
有人若問箇中意 {人有って 若し箇中の意旨(いし)を問はば }
一二三四五六七 {一二三四五六七}
<訳>
私の懐(ふところ)の中にはきれいに刺繍した毬があり
その値段は値千金、はかれるものではない。
しかもこの毬をつくことにおいては私にかなうものはおらん。
もし誰かが「良寛さん、どういう心持ちで毬をおつきになっているの
ですか?」と問いたならば
私は答えてやるわい「一二三四五六七」と。
河野太通老師は、この詩は毬つきの玉のことにかこつけて、
良寛さんご自分の心の珠のことを表現されていると仰せになっていました。
そして次のように訳されました。
私のこのからだの中にはきれいな値段のつけようのないところの
心の珠がある。この心を上手に用いることにかけては私にかなうものは
いない。
この心を日頃用い、1日悠然と豊かに子供と仲良く遊ぶなどして
上手に使っている。もし誰かが「それはどういう心境ですか?」と
訊いてきたなら、「一二三四五六七、これだよ。」と答えてやろう。