今生きていることへの感謝を学ぶ
6月16日(日)
<アジサイと山門>
管長様が提唱されたことをまとめてみました。
仏道修行というのは何もお寺に行って長く修行をしないと手に入らないものでも
滝に打たれたり断食をしなければならないというものでもありません。
臨済禅師は、「正しいものの見方をする」が一番重要である仰せになっています。
何も特別なことしなくても日常の中で今こうして生きていること、こうして
毎日食事ができることに喜びと感謝をする、こういうものを本当に感じることが
禅・仏教の教えに相成りません。
朝、目が覚める度に生きていることに大きな喜びを感じて感謝をする。
坐禅をしていてもただ、姿形ばかりしているのではなく、その一呼吸一呼吸に
息をすることのできることに感謝をする。それが本質でないかと思います。
今現在こうして生きていること、いのちがあるということ、こうして話を
聞くことができるということ、呼吸をしているということ、心臓が一時も
休まずにはたらいているという、この大きないのちの力に感謝をする一日を送る、
それが一番の修行であります。
<雨上がり、葉に水泡が>
(後記)
管長様が右に置いてある大筆を使って揮毫された大書です。
円覚寺派・末寺の山号が書かれています。
「忍を懐いて慈を行ず」