一つにとけ合ったところ
3月17日(日) お彼岸入り
管長様が今日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
「山は築かずして高く 川は掘らずして深し」という言葉があります。
私たち人間がいくら土をもったところで山を築くことはできないし、いくら
深い穴を掘ったところで海の深さに及ぶものではない。
山は自然と高く、海は自然と水をたたえている。これこそ、仏心の姿です。
何も作りごとはありはしない。
ところが無心の坐禅だなんだと言って、無心になろうなろうとして
それが、分別・妄想の土で山を築くようなものだということに気づかずに
いる人が多くいる。観念、妄想をふくらますのではなく、それら一切の
作りごとをやめればいいのです。
禅ではよく「成り切れ!」とよく言います。これも、成り切ろう、成り切ろうと
して自分で作りごとをすれば、逆に遠ざかる。物事を分かろう、分かろうとするのも
これまた、同じです。
それよりも、私たち人間の「成り切ろう」なんていう浅はかなはからいを捨てて、
春になれば大自然の中で、春風の中ゆったりと花ととけ合うことです。大自然に
身をなげうって一つになったところです。また、人生の最期は、月の満ち欠けの
はたらきで自然と息をひきとることです。
仏心とはいかなるものか?お日様が出て、風が吹く、子供が生まれる、人が死んでいく
これみな仏心の姿です。みないちいちが仏心の光明です。照らされるばかりでなく、
みんなそれぞれ仏心の光をあい放って一つにとけ合っているところを仏心の光明と
いうのです。