変えることのできるもの
3月10日(日)
管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
今、この時代に生まれこの場に生きているということは、みな、巡り合わせです。
移り変わり、どうなるかわらない無常の中で、決して一人ではない、みんな
つながり合っている。
巡り合わせの中で生きていくには、お釈迦様は、いくつしみの心、思いやりの心を
起こすしか、他に道はないと仰せになっています。
あの被災地の方々は、おそらくあの震災さえなかったら、あの津波さえなかったらと
どれほどそう思ったことでありましょうか。しかしながら、変えることできないものは
受け入れるしか他はないのです。
今回、東北地方をまわり、大船渡、陸前高田、気仙沼の和尚様方とお話をする機会が
ありました。その和尚様方が共通して言われた言葉がありました。それは、はじめに
「お亡くなりになった方々に対しては、誠に申し訳ない」と前置きをした上で
「あの震災のおかげで」という言葉でありました。
あの震災のおかげで私たちは大事なものを学んだ。それはこうして生きているという
ことの有り難さ。そして、どれだけ多くのものに支えられているのかということ。
今まで何の縁もない人たちから多くの支援をいただいたこと。私たちが生きている
ということはどれだけたくさんのご縁をいただいているか。それらのことを、
あの震災のおかげで知ったと多くの和尚様が言われました。
これは2年の歳月がもたらした素晴らしい言葉であると思いながら、鎌倉に
帰って参りました。
陸前高田の和尚様がこうお願いされていました。「管長様、鎌倉に帰ったら、
3月11日はどこにいても東北に向かって手を合わせてください」と。
震災や天変地異は変えることはできませんから、受け入れるより仕方が
ありません。しかし、私たちにも変えることができるものがあります。
それは私たちのこの心です。
お釈迦様は、遠くの人にもいくつしみ、思いやりの心を持てと言われました。
いくつしみ、思いやりの心は誰でも例外なく持っている私たち本来の心なのです。
今日の日曜説教会も450名を越える大勢の方々が拝聴にお見えに
なりました。皆様、有り難うございました。
(写真は、Tさんに撮影していただきました。)
(後記)
午後からは、居士林で、蔦禅会(坐禅会)でした。11名の方が参加。
こちらも、ご参加いただき有り難うございました。