心を籠(こ)める
1月21日(月) 制末大攝心・2日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
何においても心を籠(こ)めるということが大切であります。
おおざっぱに、ただ、バタバタとやるのではなく、一つ一つに
心を籠めていく。
坐禅をするときには、一息一息、一呼吸一呼吸に心を籠めていく。
この心を籠めていく、その心こそが仏であります。
そのことに気がついて、その一つの教えを伝えてきたのが、
お釈迦様以来、ダルマ様などの祖師方であります。
中国、唐の時代の禪僧、馬祖道一禅師は、そのお示しの中に
「心を籠める、その心こそが仏である、こう信ぜよ。」と
仰せになっています。仏様と思って手を合わせる、その手を
合わせる心こそが仏であると。
ダルマ様がはるばるインドから中国に渡り、お伝えしようと
したのは、この一心、この心に他なりません。この心とは別に
仏様はよそにありはしない。仏の他に別に心なしであります。
天地(あめつち)の 心はおのれの 心なり
ほかに心の ありと思うな
天地一杯の仏心こそ、わが心であります。それ以外によそに
心はありはしない。自分自身、これが仏であります。
「見たり、聞いたりしているもの、今ここで確かにこうして
生きているもの、これこそ、なるほど、仏である。」とこう
気がついてもらいたい。それが、今に到るまで連綿と伝わっている
お釈迦様の教えであります。