仏のいのち 今ここに
12月14日(金) 臘八大攝心 提唱最終日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
何も思わぬは仏の稽古なり。何も思わなくなった所から
わいて出てくるものが仏心であり、真の慈悲であります。
至道無難禅師いわく
ひたすらに 身は死に果てて 生き残る
ものを仏と 名をつけにけり
本当に疲労困憊するまでやる、もうだめだというどん底まで
やる。もう死んでしまうかもしれないという極限までやった
ところで、なお、生き残るものがある。
その確かに生き残ったもの、息をしている不可思議なもの、
これこそ仏心、如来無量のいのちです。
お釈迦様は明けの明星を見て悟ったいう。今朝は、双子座
流星群が見えました。星空を見ながら、天地宇宙、悠久のいのち
から見れば、私達の一生涯はまさしく流星のごとしです。
お釈迦様がお悟りを開かれてから2500年が経ちましたが
この2500年という時ですら、天地悠久のいのちの流れから
見れば一時にすぎません。
この限りない仏のいのちが今ここにこうして息づいている
ということに喜びと感動を持って明朝の成道会に臨んで
もらいたい。
こんな歌を作ってみました。
限りなき 仏のいのち 今ここに
生きておるなり この一息に
仏のいのち、天地悠久のいのちが今ここに確かにこうして
生きていることに心の底から感動、感謝することが
できますように願います。