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臨済宗大本山 円覚寺

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2012.11.24

何もかもなげうって

11月24日(土) 月並大攝心 5日目
 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 アントニー・デ・メロというインド出身の神父さんに
「何もかもなげうって 死さえもいとわない価値ある宝が
見つかったときこそ 人は本当の意味で生きる」という
言葉があります。
 論語の中には「朝に道を聞けば 夕べに死すとも可なり」と
ありますが、朝、本当の道を聞くことができたら、その晩に
死んでも悔いはないということです。
 孔子という人も自分の命をかけてその道を求めていたという
ことがこの言葉からうかがうことができます。
 お互い、自分のこの人生、何にかけるのか?どれだけ自分の
すべてをそこに打ち込むか?であります。それが人生の深さと
なります。
 命がけという言葉は容易に使うべきではないけれど、はやり
この道に命をかけるとうぐらいの気持ちを持ってもらいたい。
 能力のあるなしというのは、問題ではありません。大切なことは
やらなければならないことを自分が死んでもいい、命をかけるという
志であります。この志こそ大きなものを動かしていく力であります。
 自分に何ができるか?何か力になってあげることはないか?という
願いを持って周りの人に尽くしていく為には、それはあたかも
自分の命をなげうつって戦いにでるのと同じ強い気持ちを
持たなければなりません。
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僧堂山門前から大方丈を望む
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僧堂山門から

何もかもなげうって

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TEL:0467-22-0478

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