どんな時代であっても・・・
11月20日(火) 月並大攝心初日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
村田和上という方はすべてを捨てて念仏一筋のところが、
私たち禅僧以上に徹底していたので、何人もの禪僧が和上に
問答に行きました。若き日の朝比奈宗源老師もその一人で
ありました。
ある禪僧が和上に「善悪とは、どういうことでしょうか?」と
たずねました。「何が善で何が悪か?」これは、非常に
難しいことであります。
「昨是今否(さくぜこんひ)」という言葉がありますが、
昨日まで良いことが今日はもう一変に悪いことになることは
多々あります。
「何が善で何が悪か?」について和上は、たとえ話を用いて
こうお答えになりました。
{ある町で大火事があって、町の大部分が焼けてしまった。
調べてみると、ある男が保険金欲しさに付け火をしたそうな。
町中の人はみんな怒ってその男を悪魔のように言い立てた。
ところがあちらこちらから、義援金や見舞いの品、あるいは
補助金が集まって来て、町は前よりも立派になった。となると
町の人々は、前は悪魔呼ばわりしていたのに、今度はあいつの
おかげで町が良くなったと功労者扱いになってしまったとさ、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。}
人間の世の善悪とはそういうものであります。
私たちが求めるものは「世の中の善悪にかかわることのない
真実は何であるか?」であります。これは、みなさん、自分で
求めなくてはなりません。
お釈迦様は、それを無常・無我・戒律の五戒であると仰せに
なっています。どんな時代でも決して移り変わることのない真実
、微動だにしないものを自分で体得していただきたいと思います。