気持ちを込める
11月15日(木) その2
管長様が僧堂攝心(先月の10月23日)で提唱されたことをまとめて
みました。
私たちの何気ない仕草、一挙手一投足というのは、お檀家さんなどに
全部見られているはずであります。ですから、お経だけ読めればいいもの
ではありません。
お経を読むにしてもどれだけ「今、命あることは有り難いことか」という
気持ちを持って、それに深い感動をしてしみじみ読むことができるかが
肝心要であります。
坐禅堂に入るときも、ただ形だけ、手を合わせ頭を下げるのではなく、
「坐禅をさせていただいて有り難い、どうか宜しくお願い致します」という
気持ちを込めて合掌低頭をすることが大事であります。
講座の前に講本(テキスト)をひろげる時も、「この教えをいただいて
本当に有り難い」という気持ちがあれば、講本を押し戴いた時に一瞬止まる
はずであります。この間が大事なのです。「有り難い」という念があれば、
合掌して頭を下げても一瞬止まるはずです。
あるいは、食事の時、「このようにお粥をいただけて、本当に有り難い」
という気持ちがあれば、手を合わせた時に一時(いっとき)止まる。
そこに気持ちが籠もるのです。
また、我々でも、お布施をいただいた時、「これはこれは、お布施を
いただきまして恐れ入ります」と押し戴いて必ず止まるはずです。
規則とか型というのは、形だけ教えたり、覚えたりすればそれでいい
というものでは決してありません。「有り難い」という気持ちを込める
ことが大切なのです。
「有り難い」という思いや念を込めて、ちょっと間を置くこと、
一瞬止まって気持ちや念を込めることであります。
万作(まんさく)の葉っぱにも秋が訪れました。
<黄梅院>